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1957年の日本テレビ入社と同時に[[海外ドラマ]]の[[吹き替え]]版制作を担当。その後、1963年の「[[宇宙Gメン]]」を皮切りに国産[[テレビドラマ]]の制作に携わる。「[[青春とはなんだ]]」「[[これが青春だ]]」や「[[おれは男だ!]]」などの青春シリーズ、「東京バイパス指令」を経て「[[太陽にほえろ!]]」<ref>「太陽にほえろ!」は、[[スティーブ・マックイーン]]主演の刑事ドラマの名作「[[ブリット]]」を参考にしたと述べている。(黒井和男『映像の仕掛け人たち』キネマ旬報社、1986年7月、p209)</ref>
、「[[俺たちの旅]]」、「[[大都会 (テレビドラマ)|大都会]]」シリーズ、「[[あぶない刑事]]」などを手がけた。中京テレビ時代は[[日本民間放送連盟|民放連]]放送倫理小委員を歴任し、[[放送と人権等権利に関する委員会|放送と人権等権利に関する委員会(放送人権委員会)]]、[[放送と青少年に関する委員会]]などの創設にも関わっている。なお、『太陽にほえろ!』においては、岡田を含む脚本家のメンバーで、[[エド・マクベイン]]にあやかった共同筆名・「魔久平(ま・くべい)」の名義で出演台本を執筆したことがある。
 
中学3年生の時に初めて見た映画『[[打撃王 (映画)|打撃王]]』に強い感銘を受け、ラストシーンの球界を引退していく[[ルー・ゲーリッグ]]の背中に掛かる「ゲーリッグは去っても新たなヒーローが生まれますよ」と暗示する「プレイボール! 」という声には涙が止まらなかったという。「太陽にほえろ」や「俺たちシリーズ」も含め、テレビ映画のプロデューサーとして立案したいくつかの企画にこのプレイボールの精神を生かしてドラマの主人公たちの将来に夢を持たせる形で終わらせたと述べている<ref>{{cite web|author=岡田晋吉|url=http://www.kawakita-film.or.jp/kaleidoscope_2_04.html|title=我が心のアメリカ映画|publisher=Kawakita-Film.or.jp|date=2012年3月14日|accessdate=2015年8月4日}}</ref>。