「ハビエル・サネッティ」の版間の差分

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== 経歴 ==
=== クラブ経歴 ===
[[File:Javier Zanetti - Inter Mailand (3).jpg|thumb|right|200px|インテルでキャプテンとしてプレーするサネッティ]]
==== アルゼンチン時代 ====
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2010年夏、インテルとの契約を2013年まで延長した。37歳71日だった2010年10月20日、サン・シーロで行われたUEFAチャンピオンズリーグの[[トッテナム・ホットスパーFC]]戦 (4-3) で先制点を挙げ、同大会での最年長得点記録を塗り替えた<ref>{{cite web |title= Inter Milan 4 Tottenham 3 |url=http://news.bbc.co.uk/sport1/hi/football/europe/9102192.stm |publisher=BBC Sport |accessdate=2010-10-20 |date=2010-10-20}}</ref>。なお、この記録は後にACミランの[[フィリッポ・インザーギ]]や[[マンチェスター・ユナイテッドFC]]の[[ライアン・ギグス]]によって塗り替えられている。サネッティは同大会で2点しか挙げておらず、最初の得点は1998年12月の[[SKシュトゥルム・グラーツ]]戦 (2-0) で挙げたものだった。12月には日本で開催された[[FIFAクラブワールドカップ2010]]に出場し、準決勝の[[城南FC|城南一和天馬]]戦では同大会史上最年長(37歳4ヶ月)で得点を挙げた。2011年1月19日の[[ACチェゼーナ]]戦でセリエAでの出場試合数を520試合とし、ベルゴミが保持する歴代最多出場記録(519試合)を塗り替えた。5月11日、コッパ・イタリア準決勝のローマ戦セカンドレグで、プロ通算1000試合出場を達成した。2011-12シーズン、セリエAの20クラブでイタリア人以外がキャプテンを務めたのはインテルのみであった。11月20日の[[ノヴァーラ・カルチョ]]戦で、ベルゴミが保持していた公式戦最多出場記録を更新した。12月3日の[[ウディネーゼ・カルチョ]]戦でキャリア2度目の退場処分を受けたが、キャリア初の退場は1999年2月17日、コッパ・イタリアの[[SSDパルマ・カルチョ1913|パルマAC]]戦であり、12年以上も退場処分を受けなかった。2011-12シーズン終了時点で、17人もの監督の下でプレーしている。2012年8月23日、[[UEFAヨーロッパリーグ]]予選プレーオフ、[[FCヴァスルイ]]戦でインテルでの公式戦出場800試合を達成した。
 
=== アルゼンチン代表経歴 ===
[[File:Javier Zanetti - Argentina.jpg|thumb|right|200px|アルゼンチン代表でプレーするサネッティ]]
1994年にアメリカで開催された[[1994 FIFAワールドカップ]]後、右サイドバックの人材を求めていた[[ダニエル・パサレラ]]監督によって[[サッカーアルゼンチン代表|アルゼンチン代表]]に招集され、1994年11月16日の[[サッカーチリ代表|チリ]]戦でデビューを飾った。なお、同じ試合で[[ロベルト・アジャラ]]も代表デビューを飾っている。1996年にはU-23アルゼンチン代表として[[アトランタオリンピックにおけるサッカー競技|アトランタオリンピック]]に出場し、アルゼンチンの準優勝に大きく貢献。1998年には、フランスで開催された[[1998 FIFAワールドカップ]]本大会のメンバーに選出された。決勝トーナメント1回戦の[[サッカーイングランド代表|イングランド]]戦では、前半終了間際に[[フアン・セバスティアン・ベロン]]のフリーキックから2-2となる同点ゴールを決め、アルゼンチンはPK戦 (4-3) の末にイングランドに勝利したが、準々決勝で[[サッカーオランダ代表|オランダ]]に敗れた。