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[[東邦音楽大学附属東邦中学校・高等学校|東邦音楽大学附属東邦高等学校]]卒業。[[東宝ニューフェイス|東宝ニュータレント]]第5期生、同期に[[前田美波里]]、[[豊浦美子]]らがいた。歌手志望だったが、1966年にテレビドラマ『[[青春とはなんだ]]』の高校生役として本格的に女優デビュー。以降、日本テレビ系列で放送された『青春ド真中!』までの青春シリーズ<ref>『テレビジョンドラマ』通巻8号「日本テレビ青春ドラマシリーズ」(1985年3月、放送映画出版)によれば、以下の4期15作が日本テレビ青春シリーズ作品としてリストアップされている。第1期=『青春とはなんだ』、『これが青春だ』、『でっかい青春』、『進め!青春』、『炎の青春』 第2期=『おれは男だ!』、『飛び出せ!青春』、『おこれ!男だ』、『われら青春!』 第3期=『俺たちの旅』、『俺たちの朝』、『俺たちの祭』 第4期=『青春ド真中!』、『ゆうひが丘の総理大臣』、『あさひが丘の大統領』</ref>には、常連として出演し続けた。とくに1975年の『[[俺たちの旅]]』では、主演のカースケ([[中村雅俊]])、オメダ([[田中健 (俳優)|田中健]])、グズ六([[秋野太作]])らが住むアパートたちばな荘の大家・坂田大伍郎([[名古屋章]])の娘でいろは食堂の看板娘・奈美役で人気を博した。また1966年10月、[[西郷輝彦]]とのデュエット曲「兄妹の星」で念願の歌手デビューをはたす。同曲はレコード70万枚の売り上げを記録するヒット曲となる。1973年には、ヤマハ主催の第5回[[ヤマハポピュラーソングコンテスト|ポピュラーソングコンテスト]]東京大会で知り合った古家杏子(ふるや杏)とのユニット「乙女座」を組みパーカションとピアノによるデュエットグループとして活動。1975年に事務所の閉鎖で活動休止するが、2005年12月の水沢有美デビュー40周年記念ライブを機に再結成し、現在も不定期だが乙女座としてのライブ活動をおこなっている。2013年9月には乙女座結成40周年記念ライブを行った。アメリカ滞在(1988年頃から約10年)もあり空白期間はあったが、帰国後も女優、声優、歌手として、またNHKテレビの英語講座の出演者やカルチャー・スクールでの英語の講師など幅広い活動をおこなっている。
 
197920174月より[[東京俳優生活協同組合]](俳協)所属だったが、2014年3月よりウエ・エンタテイメント事務属を経て、2017年4月よりコントロールプロダクション所属となる。<ref>コントロールプロダクション/水沢有美[http://ctrls.biz/?page_id=9328]</ref>日舞坂東流名取。日本泳法有段者。[[石寒太]]主宰の俳誌「炎環」同人。俳号は水沢水音(みおん)であり、2013年10月の巻頭句に選ばれている<ref>後掲外部リンク「炎環」2013年10月巻頭/句 2013年10月31日閲覧。空蟬のころころころころあすふあると/ドームへのまさをつらぬく椿の実/乳母車の嬰児の笑ふ原爆忌/❖戦災遺跡いまあかとんぼ乱れ飛ぶ/❖月の雨人支へ合ふ二画かな(❖印=石 寒太主宰特選)</ref>。2016年11月に[[東久邇宮記念会|東久邇宮文化褒賞]]を受賞<ref> [http://plaza.rakuten.co.jp/otomezafan/diary/201610040000/| 水沢有美のブログ 2016年10月16日]</ref>。
 
夫の音楽プロデューサー・有賀恒夫(トニー有賀)との間に2児あり<ref>後掲外部リンク「ゲンダイネット『あの人は今こうしている』」2010年3月14日閲覧。</ref>。