「グリゴリー・ラスプーチン」の版間の差分
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ユスポフの回顧録によると、ユスポフは[[シアン化カリウム|青酸カリ]]を盛った[[プチフール]]と紅茶をラスプーチンに用意したという。しかし、ラスプーチンは毒入りの食事を平らげた後も態度に変化を示さず、ユスポフを驚愕させた<ref group=注>ラスプーチンが青酸カリによって死ななかった理由としては、検死結果で毒物が検出されなかったことから毒殺自体が作り話であるという説や、ラスプーチンが無胃酸症または低胃酸症であったため、[[シアン化水素]]が発生せず死に至らなかったという説がある。また、毒殺に使われた青酸カリに問題があったという見方もある。保存が適切になされなかった青酸カリを用いた殺人未遂事件は歴史上数多い上、当時のロシアには低品質の薬物や偽薬を扱う薬屋も多く、そうした薬屋から購入した偽物を盛ってしまった可能性も否定できない。</ref>。ユスポフはラスプーチンにデザートワインを飲ませ暫く談議していた(政治もしくは神秘主義について話し合っていたという)<ref>[[Maurice Paléologue]] (1925).[http://www.gwpda.org/memoir/FrAmbRus/pal3-05.htm Ch. V. "December 25, 1910 – January 8, 1917"] in ''An Ambassador's Memoirs''. Vol. III. George H. Doran Company, New York.</ref><ref>[https://archive.org/stream/russiandiaryofen00newyrich#page/84/mode/2up The Russian diary of an Englishman, Petrograd, 1915–1917]</ref>。数時間後、ラスプーチンが泥酔したことを確認したユスポフは応接室に向かい、ドミトリー大公から[[回転式拳銃|リボルバー]]を受け取った。ユスポフは部屋に戻ると、背後からラスプーチンに向かって2発発砲した。銃弾はラスプーチンの心臓と肺を貫通し、彼は床に倒れ込んだ<ref>[[#Nelipa|Nelipa]], p. 309.</ref>。
しかし、死んだと思われたラスプーチンは起き上がり、「目を見開き、自らの危機を知った」という<ref>[[#Nelipa|Nelipa]], p. 315.</ref>。驚愕したユスポフは階段を駆け上がり中庭に逃れ、騒ぎを聞いて駆け付けたプリシケヴィチがラスプーチンに向かい拳銃を4発発砲した。4発の内3発は外れたが、1発は[[腎静脈|右腎静脈]]から背骨を貫通し、ラスプーチンは雪の上に倒れた<ref>[[#Nelipa|Nelipa]], p. 382.</ref><ref name="Nelipa, p. 318">[[#Nelipa|Nelipa]], p. 318.</ref>。しかし、ラスプーチンは起き上がったため、神経質になったユスポフは靴でラスプーチンの右目を殴
[[File:BasementYusupovpalace.jpg|thumb|220px|モイカ宮殿のラスプーチン暗殺現場]]
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3月4日、[[ロシア臨時政府]]司法大臣ケレンスキーはラスプーチン暗殺に関する捜査の中止と、暗殺犯への恩赦を決定した。8日、臨時政府はラスプーチンの墓がアレクサンドラと四皇女の礼拝の場所として使用されているとして、皇帝一家の行動を制限した<ref>[[#Nelipa|Nelipa]], pp. 424–425, 430, 476.</ref>。秘匿されていたラスプーチンの墓はツァールスコエ・セローにある森の中の岩山で発見され、棺は大勢の群集が見守る中掘り起こされ近隣の市庁舎に運ばれた。歴史作家でジャーナリストの{{仮リンク|ブライアン・モイニハン|en|Brian Moynahan}}は、この時の様子を以下のように記している<ref>[[#Moynahan|Moynahan]], pp. 354–355.</ref>。
{{Quotation|ラスプーチンの顔は黒く変色しており、胸には小さなイコンが置かれていた。そのイコンにはヴィルボヴァ、アレクサンドラ皇后と彼女の4人の娘の署名が記されていた。遺体は梱包され秘密裏にペトログラードから運び出されることになり、次の日に遺体は
3月10日、ラスプーチンの遺体を乗せた
== 人物・逸話 ==
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=== 映画 ===
*{{仮リンク|The Fall of the Romanoffs|en|The Fall of the Romanoffs}}(1917年)
*{{仮リンク|白夜の陰獣|en|Rasputin the Mad Monk}}(1966年)
*[[ニコライとアレクサンドラ]](1971年)
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