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'''エミール・アルティン'''(''Emil Artin'', [[1898年]][[3月3日]] - [[1962年]][[12月20日]] )は、オーストリア出身でのちに[[ドイツ]]、[[アメリカ合衆国]]で活躍した[[数学者]]。20世紀を代表する数学者の一人といえる。{{仮リンク|代数的数論|preserve=1|en|Algebraic number theory}}での業績で著名で、[[類体論]]や[[L-函数]]の構築に貢献した。[[群 (数学)|群]]、[[環 (数学)|環]]、[[可換体|体]]論にも優れた業績を残している。
同じく数学者の{{仮リンク|マイケル・アルティン|en|Michael Artin}}は息子である。ドイツのハンブルクでキャリアを積んでいたが、妻がユダヤ系のためナチスに追われ、1937年アメリカに移住した。1938年から1946年までは[[インディアナ大学]]で、1946年から1958年までは[[プリンストン大学]]で教鞭をとった。戦後、再び[[ハンブルク]]に戻った後は、1962年に死亡するまで、そこで働いた。
{{仮リンク|ファン・デル・ヴェルデン|en|Bartel Leendert van der Waerden}}による[[抽象代数学]]の手法は、[[エミー・ネーター]]だけでなくアルティンにも部分的に由来するといわれている。弟子には、[[サージ・ラング]]、[[ジョン・テイト]]などがいる。
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