「カリア」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
m編集の要約なし
ヒッタイト
3行目:
 
カリアの主要な都市に[[ハリカルナッソス]]や{{仮リンク|カウノス|en|Kaunos}}がある。
 
紀元前1250年ごろの[[ヒッタイト]]の碑文には、ヒッタイトの西にある敵国として、ルッカー([[リュキア]])と並んでカルキシャまたはカリヤという名前が見え、カリアを意味していると見られる<ref>Hajnal (2001) pp.2-3</ref>。
 
[[ヘロドトス]]によると、[[エジプト第26王朝]]のプサメティコス1世は[[イオニア]]とカリアの傭兵による軍事力を背景としていた。それを裏付けるようにエジプトの[[イシス]]像の土台には{{仮リンク|カリア語|en|Carian language}}を記したプサメティコス1世時代の碑文が残る<ref name="adiego1">Adiego (2007) p.31</ref>。南の{{仮リンク|ブヘン|en|Buhen}}に至る[[ナイル川]]沿いにカリア語の落書きが残っており、これらは[[ヌビア]]遠征に従軍したカリア人によるものと考えられている<ref name="adiego1"/>。
11 ⟶ 13行目:
== 参考文献 ==
* {{cite book|author=Adiego, Ignacio J|title=The Carian Language|year=2007|publisher=Brill|isbn=9004152814}}
* {{citation | url = https://web.archive.org/web/20160304100753/http://sprawi.uibk.ac.at/files/hajnal/vortrag_lydisch_engl.pdf|title= Lydian: Late-Hittite or Neo-Luwian? |publisher= University of Innsbruck|author= Ivo Hajnal |year=2001}}
 
== 関連項目 ==