「7月20日事件」の版間の差分

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死亡者の階級を死後昇進前のものに統一
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| strength1 = | strength2 =
| casualties1 = {{unbulleted list |処刑 約5,000人 |逮捕 約5,000人}}
| casualties2 =*ヒトラーは打撲と火傷、鼓膜を損傷したが軽症<br />*[[速記]]者ハインリヒ・ベルガー( Heinrich Berger)は両足を失いほぼ即死<br />*陸軍参謀本部作戦課長・総統副官[[ハインツ・ブラント]]大佐は片足を失い2日後に死亡<br />*空軍参謀総長[[ギュンター・コルテン]]上級大将は腹部に重傷を負い2日後に死亡<br />*総統副官の[[ルドルフ・シュムント]]将は、腰部の重傷で10月1日に死亡<br />*残りの参席者も重軽傷}}
'''7月20日事件'''は、[[1944年]][[7月20日]]に発生した[[ナチス・ドイツ]][[総統]][[アドルフ・ヒトラー]]暗殺未遂とナチス・ドイツ政権に対する[[クーデター]]未遂事件。
 
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午後0時32分、爆弾の起爆装置を作動させた鞄を持って、シュタウフェンベルクが会議場に入った時には、すでに会議は始まっていた。午後0時37分頃、爆弾入り鞄を作戦会議場の巨大なテーブルの下に押し入れ、ベルリンへ電話をかける名目で会議場を後にした。午後0時42分、轟音と共に爆弾は炸裂し、会議室は破壊された。
 
爆発により、[[速記者]]ハインリヒ・ベルガー( Heinrich Berger)は両足を失いほぼ即死。[[プロイセン参謀本部|陸軍参謀本部]]作戦課長・総統副官[[ハインツ・ブラント]]大佐は片足を失い、空軍参謀総長[[ギュンター・コルテン]][[上級大将]]は腹部に重傷を負い二人とも2日後に死亡。総統副官の[[ルドルフ・シュムント]]将は、腰部の重傷で10月1日に死亡。残りの参席者も重軽傷を負った。ヒトラーは打撲と火傷、鼓膜を損傷したが症状としては軽症で済み、生き残っていた。
 
=== 「ヴァルキューレ」作戦発動 ===