「バーナード・バルーク」の版間の差分

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:Spencer Tucker, Priscilla Mary Roberts ''World War I: A Student Encyclopedia'' ABC-CLIO, 2005 pp.295-296.</ref>、外交分野でもドイツに巨大な賠償金を課した賠償委員会の議長として活躍した。
 
以後もハーディングやクーリッジ、フーバー等の歴代大統領に対し、特別顧問という特権的な肩書きでアメリカの重要政策に関わり続ける事でアメリカの執政に必要なあらゆる政治的ノウハウを学ぶと同時に、重要な政治部門の実力者と個人的なパイプを強化していくことで実質的に大統領以上の政治的影響力を行使できる立場に立った。
 
その結果としてルーズベルト政権が成立した1930年代には、強大化した政治的な影響力を利用し、公的にも金融界の大物から長老政治家というスーパーエリートへ転身を遂げることに成功。[[フランクリン・ルーズヴェルト]][[大統領顧問 (ホワイトハウス)|大統領の顧問]]として大いに専権を振るった。
ルーズヴェルト大統領はウィルソン大統領の影響を受けていたため、そのスタッフを自分の顧問にしていた。その中でもバルークはウィルソン時代より確立させた数々の業績によって、その活動内容や権限について議会による掣肘を受けないでいられるきわめて特権的な「影の大統領」とも言うべき立場にあり、事実上のトップ(名目は「私的顧問」でも実質的には「重要政策の指南役」)であったといわれる。
 
[[第二次世界大戦]]が始まり、軍事物資の供給が滞ったとき、ルーズヴェルトはバルークに助言を求めた。このときバルークは、「内閣レベルで全ての物流を支配し、大統領(の信任を受けた人物)がその全権を掌握するという強大な中央組織の創設」を建言する。この方針に沿った機関の設立が進められ、1942年には彼
[[en:David Niles]]
が顧問を務める[[:en:War Production Board|ウォー・プロダクション・ボード]](WPB)が組織されるなど、その権限はまさに戦時におけるアメリカの産業戦略の最高責任者といえるものであり、彼はそこで大統領の実質的な代行として内閣レベルで指揮監督される全ての物流統制を統括していた。(ただ、いかに信頼を得ていたとはいえ、彼にゆだねられたその強大すぎる権限は彼の実質的立場が[[ルーズベルト大統領]]をしのいでいた証拠と見る向きもある。)