「吉原宿」の版間の差分

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陸上交通や水運の拠点であったほか、富士参詣の宿駅としても機能した。
 
吉原宿は当初現在の[[東海旅客鉄道|JR]][[吉原駅]]付近にあった(元吉原)が、[[1639年]]([[寛永]]16年)の高潮<ref name=":0">{{Cite web |author=石渡明 |date= |url=http://www.geosociety.jp/faq/content0458.html |title=東海道五十三次と地震・津波・噴火 |publisher=日本地質学会 |accessdate=2017-05-23 }}</ref>により壊滅的な被害を受けたことから、再発を防ぐため内陸部の現在の富士市依田原付近に移転した(中吉原)。しかし[[1680年]]([[延宝]]8年)[[8月6日]]の高潮<ref name=":0" />により再度壊滅的な被害を受け、更に内陸部の現在の吉原本町([[吉原商店街]])に移転した。このため原宿 - 吉原宿間で海沿いを通っていた東海道は吉原宿の手前で海から離れ、北側の内陸部に大きく湾曲する事になり、それまで(江戸から京に向かった場合)右手に見えていた[[富士山]]が左手に見えることから、"左富士"と呼ばれる景勝地となった。往時は[[歌川広重|広重]]の絵にあるような松並木であったが、現在は1本の松の木が残るのみである。
 
== 最寄り駅 ==