「ジャン=フランシス・オービュルタン」の版間の差分
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[[1897年]]に、彼は[[:en:Roscoff|ロスコフ]]と[[バニュルス=シュル=メール]]の水中水族館で動植物の研究を行い、[[ソルボンヌ大学]]動物学科の講堂のための大きな装飾画を描くのに有益な多くの海底の動植物のスケッチを描いた。この画は[[1898年]]に完成し、後日[[イヴリー=シュル=セーヌ]]にあるDépôt des Œuvres d'Art de la Ville de Parisに預託、保存された。
彼は[[:en:Iles d'Or|イル・ドール島]]や[[イエール (ヴァール県)|イエール ]]諸島の[[:fr:Porquerolles|ポルケロール]]島に長期にわたり滞在し、また[[ブルターニュ地域圏|ブルターニュ]]地方の[[
更に彼は[[コルシカ島]]、[[ピレネー山脈]]の山々、[[ランド県]]の湖群、そして友人で画家の[[:en:Albert Besnard|アルバート・ベナール]]と妻で彫刻家のシャーロット・ベナールが住む[[アヌシー湖]]畔のタロワール村等も訪れている。
彼はパリの[[リヨン駅]]の装飾担当建築家の[[:en:Marius_Toudoire|マリウス・トゥドワール]]の友人で、[[1900年]]にリヨン駅の[[ベル・エポック]]調の装飾で知られるレストラン「トラン・ブルー」(青列車)の装飾に参加した。また[[1905年]]に描きかえられた絵画の一部の制作にも関与した。
[[1904年]]に彼は[[オート・ノルマンディー地域圏|オート・ノルマンディー]]地方のヴァランジュヴィル=シュル=メールの素晴らしい土地が気に入って[[1907年]]に土地を購入し弟で建築家のジャック・マルセル・オービュルタンに建築を依頼した。
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* 1897年頃 『エルキー』, 紙、グワッシュ ; S ; サイズ ; 高さ: 30cm × 幅:75cm (ムードン美術史博物館)
* 1897年 - 『カニとイチョウガニ』(海底の習作、1897年9月1日ロスコフ), 紙に水彩画 ; ( ロスコフの図像学部門)
* 1897年 - 『
* 1897年 - 『
* 1904年 - 『プールヴィルの浜』, 紙カンバス, グワッシュ, 木炭画 ; SD ; サイズ ; 高さ: 51cm × 幅:135cm, (マルロー美術館2007年にフランシーヌとミシェル・クエンティンより寄贈 RMN目録番号 : 2007.1.1)
* 1904年 - 『ポルケロール諸島ル・ソワール』 デッサン, 紙カンバス, パステル ; SDbd ; サイズ ; 高さ: 75cm × 幅:133 ([[ポー]]美術館,1912年購入, RMN目録番号:12.3.5)
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* [[ルーヴル美術館]]グラフィックアート部門 - 『巨大な岩の島の眺め』
* ルイ・サレク美術史博物館、 [[ヴァル=ドワーズ県]]リスールアダン - 『浜辺の三少女』
* [[オルセー美術館]] - 『オルフェウス』,『
* [[ポー]]美術館、[[ピレネー=アトランティック県]] - 『ポルケロール諸島ル・ソワール』
* マルロー美術館、[[セーヌ=マリティーム県]]ル・アーヴル - 『松とヒトツバエニシダ』 - 『海辺の松』 - 『ヴァランジュヴィルの海と浜』 - 『プールヴィルの浜』 - 『プールヴィルの断崖』 - 『海辺の松と雲の印象』 - 『プールヴィルの断崖、赤い雲』 - 『赤い雲の下の断崖』 - 『嵐の海辺の断崖と松』
* [[ムードン (フランス)|ムードン]]美術史博物館、 [[オー=ド=セーヌ県]] : 『エルキー』
* ロスコフの図像学部門、 [[フィニステール県]] - 『海底』、『カニとイチョウガニ』、『
* [[国務院 (フランス)|フランス国務院]](柱の間)
* [[ポン=タヴァン]]美術館、[[フィニステール県]] - 『ベル・イル島グルファール』
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