「子育て幽霊」の版間の差分

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;鉄相禅師(てつそうぜんじ、生年不明 - [[元文]]3年([[1738年]]))
:[[筑前国]]東町(現[[福岡県]][[福岡市]][[博多区]][[上呉服町]])にあった明光寺で、臨月になって死んだ檀家の娘から産まれた。娘の幽霊が東町の飴屋に飴を買いに来ており、墓の中には飴を包む笹の葉が散乱していたという。成長して明光寺第17代住持となり、名筆家として名をはせた。ある晩、夢に[[天狗]]が現れ、[[宝満山]]で競書がああるため腕を借りていった。翌日、禅師の右腕は全く動かなかったが、その晩夢に再び天狗が現れ、約束通り腕を返す言った後、禅師の腕は元通り動くようになった。この時に天狗が禅師の書を火気が避ける術をかけたため、鉄相禅師の書がある家は火事にならないという伝承が残る<ref>三宅酒壺洞「あめ買い幽霊」福岡市市長室広報課・編『ふくおか歴史散歩』 福岡市 1977年 P189-190</ref>。
 
;[[日観]]聖人(にっかんしょうにん)
:[[遠江国]]西部([[静岡県]][[湖西市]])で野末八百四郎の内儀が出産の前に亡くなった。その内儀は箕輪の乙山に葬られた。その日より、遠江国[[本興寺 (湖西市)|本興寺]](静岡県湖西市鷲津)門前の飴屋に若い女が飴を買いに現れるようになった。飴屋の主人はあとをつけたが、墓地の近くまでしか分からなかった。その若い女は7日間買いに来たが、話を聞いた八百四郎と飴屋の主人はとうとうその女が墓地に葬られていることとそこで男の子を出産していたこと知った。その後、その男の子は僧侶となり、[[享保]]6年([[1721年]])、[[法華宗陣門流]]の別院本興寺第17代住職になる。これが日観聖人である。これにちなんで再現された飴がJR[[鷲津駅]]近くで「[[子育て飴]]」の名で売られている。
 
=== その他の伝承 ===