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== 概要 ==
1959年にサークル連合として設立された<ref>[http://bunren.web.fc2.com/ 法政大学文化連盟ホームページ]</ref>。
=== 革共同海老原事件を契機とした当局ロックアウト体制の実施 ===
1970年、[[革命的共産主義者同盟全国委員会|中核派]]による[[日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派|革マル派]]海老原殺害事件が起きた際、被害者をリンチし殺害した場所が法政大学構内であったため<ref>[[朝日新聞]] 1970年8月12日 夕刊 9頁 「法・慶両大学を捜索 地下室に人血反応 法大構内事件との関連を追及」</ref>、大学当局は学園管理の責任を問われることとなった<ref>朝日新聞 1970年8月16日 朝刊 22頁 「文部省 法大総長から事情聞く_東教大生殺人事件」</ref>。その後、国からの通達もあり<ref>朝日新聞 1970年8月18日 東京/夕刊 1頁 11段 「内ゲバ対策に大学管理強化 文相語る_学生運動」</ref>大学当局は、殺害現場となったサークルボックスのある[[六角校舎]]を解体するとともに、夜間休日学生立ち入り禁止など「三条件六項目」による[[ロックアウト]]体制を実行、本校地区全体を取り囲む鉄柵を設置した。
=== 学館(学生会館)闘争と日共=民青6.19武装襲撃===
黒ヘルノンセクト系の法大全共闘は、サークルボックスを含む学生会館建設に当たって「三条件六項目体制解体・学
=== 町田移転阻止闘争、学費値上げ阻止闘争 ===
その後、1980年代に入り、学生会館を自主管理する学友会各学生団体により、社会学部等の町田市移転反対闘争、学費値上げ反対闘争が闘われた。その主力を担ったのは、政治セクトからは一定の距離を置く「黒いヘルメットと白衣」の集団であった。
===00年代以降?===
当時の学生が主体となって策定した公認サークル制度が始まる、この学生の中の女子が文化連盟に怖い思いをさせられながら泣いて文化連盟を説得した。これより以前においても公認制度が存在せず非公認であったが制度発足のため2008年に非公認となる。<ref name=ff/><ref>https://twitter.com/hosei_pr/status/629184370205573120</ref>この決定を一方的であるとした文化連盟は不満を表明、過激な抗議運動を行い、その過程で授業妨害や[[器物損壊]]など多数の犯罪を行ったとして、[[公安警察]]により構成員が逮捕されるに至っている。法政大学以外の学生が多数加わっており、<ref name=ff/><ref>[http://www.hosei.ac.jp/news/shosai/news_1074.html 法政大学 4月24日の事件について 2009.04.30]</ref>現在は市ヶ谷キャンパス周辺において、中核派系全学連とともに活動している<ref name=ff/>。
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