「芥川龍之介」の版間の差分

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「[[杜子春]]」など古典を参考にしたものや(原話は唐の小説『杜子春伝』)、[[鈴木三重吉]]が創刊した『[[赤い鳥]]』に発表されたものなど児童向け作品も多い。一般的には、キリシタン物や平安朝を舞台とした[[王朝]]物などに分類される。また、古典(説話文学)から構想を得た作品も多い。例えば、「[[羅生門 (小説)|羅生門]]」や「[[鼻 (芥川龍之介)|鼻]]」、「[[芋粥]]」などは『[[今昔物語集]]』を、「[[地獄変]]」などは『[[宇治拾遺物語]]』を題材としている。また[[アフォリズム]]の制作も得意としており、漢文などにも通じていた。
 
反軍的な自説を主張しており、殊に「河童」、「侏儒の言葉」などの晩年の作品にはそのような傾向が強い。{{要出典|範囲=当時の[[軍人]]の階級争い横柄な様子を「幼稚園児のお遊戯みたいようだ」と自著で酷評したほどである|date=2015。<ref>{http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1172662/15 『侏儒の言葉』芥川龍之介「小兒」「武器」19399月18日版(検閲による削除あり)国立国会図書館所蔵}</ref><ref>{http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1180947/16 『侏儒の言葉』芥川龍之介「小兒」「武器」1927年版(検閲による削除なし)国立国会図書館所蔵}</ref>だが、当時は軍が著作物の[[検閲]]をするのが通常であったため、この検閲によって訂正・加筆・削除を余儀なくされた箇所も作品内に多数存在する。その一方で、[[大日本帝国海軍|海軍]]に対してはある程度の好意を抱いていたようで、[[大日本帝国陸軍|陸軍]]のあまりの狭量に腐っていた[[陸軍幼年学校]]教官の[[豊島与志雄]]を「良い職場があるから」と海軍機関学校に招き、豊島は[[フランス語]]嘱託教官として勤務した<ref>[[#神の罠|神の罠]], 40.177頁</ref>。[[内田百間]]も芥川の推薦で[[ドイツ語]]嘱託教官となっており、のちに内田は「竹杖記」([[1934年]](昭和9年))で芥川が講師の人選や交渉などに一定の役割を担っていたことを記している<ref>[[#神の罠|神の罠]], 178-179頁</ref>。
 
自著にて[[天照大神]]を登場させる際、別名の「大日{{lang|zh|孁}}貴」(おおひるめむち)を用いた。これは「天照大神」という呼称では[[皇祖神]]をそのまま文中に登場させてしまうことになるため、[[太陽神]]、それも[[自然神]]という性格付けで「大日{{lang|zh|孁}}貴」を用いなければならなかったためである。
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* 大の[[風呂]]嫌いで、めったに風呂に入らなかったという。入ったとしても、手ぬぐいは持っていかなかったようだ。
* 大の[[犬]]嫌いだったが、晩年、死の直前になってからは、なぜか犬を全く怖がらなくなった。犬を主人公とする児童文学『白』を改造社出版の雑誌『女性改造』に寄稿したのもこの時期である。
* 「文芸家たらんとする諸君に与ふ」という小文において「文芸家たらんとする中学生は、須らく[[数学]]を学ぶ事勤勉なるべし。然らずんばその頭脳常に理路を辿る事迂にして、到底一人前の文芸家にならざるものと覚悟せよ。文芸家たらんとする中学生は、須らく[[体操]]を学ぶこと勤勉なるべし。然らずんばその体格常に薄弱にして、到底生涯の大業を成就せざるものと覚悟せよ」と述べ、数学や体操を勤勉に学ばなければよい文芸家にはなれないと主張している<ref name="''斜体文''katano">{{harvnb|片野|2006|p=15-16}}</ref>。ただし、同じ文の中で「こは予自身の経験に基く言にして、予亦然く中学時代を有効に経過せざりしを悲しみつつあるものなり」とも述べていることから、片野善一郎は「中学時代に一生懸命に勉強しなかったことを後悔しているくらいであるから、芥川は数学はあまり得意でなかったのかもしれない」と推察している<ref name="katano"></ref>。
* [[黒澤明]]の『[[羅生門 (1950年の映画)|羅生門]]』(日本映画初の[[ヴェネツィア国際映画祭]]金獅子賞)は芥川の「藪の中」「[[羅生門 (小説)|羅生門]]」から題材を借りている。
* 作家仲間から[[巨根]]として知られていた。親友の[[小穴隆一]]は作家仲間たちが芥川の巨根ぶりを話のタネに笑い合っていたことを書き記している。また、芥川の息子も、[[徴兵]]時の身体検査で軍医からその巨根ぶりを指摘されたことを書き残している。