「堀江メール問題」の版間の差分

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* 2月21日の会見で、民主党の[[前原誠司]][[民主党代表|代表]]は翌22日の[[党首討論]]で新たな証拠を提示する旨の発言。「期待しておいてください」と、疑惑解明に期待感を持たせる発言をした。
* 2月22日の党首討論で、前原は[[国政調査権]]の発動を担保に口座を明かすとしたが、小泉は拒否。前原は党首討論の前に[[マスメディア|マスコミ]]に疑惑追及に期待を持たせる発言をしていたが、新たな証拠を開示できないことがマスコミの批判の対象となった。
* これら一連の行為が[[国民]]や[[有権者]]から反感を買い、民主党や永田、および前原への[[抗議]]の電話が殺到した。民主党は「4点セット」と言われた[[BSE問題]]、[[構造計算書偽造問題|耐震強度偽装問題]]、[[ライブドア事件]]、[[防衛施設庁談合事件]]をめとした多数の問題に対し、本来自民党を追及する立場であったが、立場が入れ替わり逆に自民党から追及されることとなった。これにより民主党の[[支持率]]は低下した。
* 永田は2月19日からは公の場に一切姿を現さず、雲隠れとも言われたが、「民主党 『メール』問題検証チーム報告書<ref>「[http://www.dpj.or.jp/news/dpjnews.cgi?indication=dp&num=7603 民主党 「メール」問題検証チーム報告書]」民主党 WEBサイト、2006年3月31日付。</ref>」等によると、永田はこれまで調査等を支えてきた[[手塚仁雄]]元衆議院議員とともに引き続き調査を続けていた。その後、2月23日になり、永田は民主党の[[鳩山由紀夫]][[民主党幹事長|幹事長]]に辞職の意向を述べたか、鳩山の判断で[[心神喪失]]を理由に入院することとなり、手塚の親族が経営する病院に入院し、辞職については保留となった。後に民主党の政治資金収支報告書によると、2007年5月28日に上述の永田議員がたった5日間入院した病院に対して、政治活動費から1000万円が渉外費と言う名目で支払われた事が判明している。
* この一連の問題に関して、永田は2006年2月28日に記者会見を行った。証拠が不十分のメールを提示し、国会を混乱させ、関係者に迷惑を掛けたことによる[[謝罪]]会見であった。しかし疑惑は消えていないと主張したため、小泉は「何のための謝罪なのかわからない」と批判し、武部は「全く謝罪になっていない」とした。また、武部は永田の謝罪申し入れも拒否した。