「田口卯吉」の版間の差分

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安政6年([[1859年]])に父の樫郎、翌年には長兄の貫一郎が相次いで死去し、[[家督]]を相続。慶応2年([[1866年]])に元服して従士見習いとなるが、12月に幕府の軍制改革で従士組が廃止され、[[幕府陸軍|新設の銃隊]]に配属される。また、[[昌平坂学問所]]でも学んでいる。同年には異父姉の[[木村鐙子|鐙子]]が但馬[[出石藩]]の儒者・[[木村熊二]]に嫁ぎ、田口家も下谷の木村家と同居する。近所の[[徒目付]]・[[乙骨太郎乙]]とも親交があった。[[明治維新]]による幕府瓦解において義兄の熊二は[[彰義隊]]を支援するなど抵抗し、田口家は横浜へ逃れ商売を行う。卯吉は乙骨の勧めで旧幕臣の経営する骨董屋で働き、アメリカ[[長老派教会|長老派]]の宣教師に英語を学ぶ。明治元年([[1868年]])に徳川家の静岡移封に伴い沼津へ移住し、[[沼津兵学校]]で英語教師をしていた乙骨のもとへ寄宿する。兵学校で学び、[[中根淑]]の漢学塾でも学ぶ。兵学校時代に[[島田三郎]]と知り合い、中根塾では[[伊庭想太郎]]らと交友している。明治2年([[1869年]])に生育方に付くが同年9月に廃止され、義兄の熊二や父の実家西山家の周旋で沼津勤番組に配属される。明治3年([[1870年]])9月に第六期資業生試験に合格し、12月には[[静岡市立静岡病院|静岡病院]]での医学修行を拝命する。また、義兄の熊二はこのころ海外渡航し、卯吉は家長の立場となる。
 
明治4年([[1871年]])[[廃藩置県]]で静岡藩が解消され主な人材が東京へ移ると、卯吉も乙骨とともに上京する。島田とともに薬屋を志し、開校予定の科学専門学校に応募するが開校は中止となり、[[大学予備門]]に入学するがほどなく退学している。[[尺振八]]の私立[[共立学舎]]に入学し、翌明治5年([[1872年]])に大蔵大輔[[井上馨]]と[[渋沢栄一]]が人材育成機関として構想した[[大蔵省]]翻訳局が発足し、乙骨や尺が登用されると島田とともに応募し上等生徒となる。翻訳局では経済学や西洋文明史が教授され、このころに[[フランソワ・ピエール・ギヨーム・ギゾー|ギゾー]]などの影響を受け医科から転向したといわれ、また[[キリスト教]]にも接している。だが、明治6年([[1873年]])に井上や渋沢が辞し、続いて大蔵卿に[[大隈重信]]が就くと組織改編で翻訳局は縮小され、翌年には廃止となり卯吉は大蔵省[[紙幣寮]]に異動となる。明治9年([[1876年]])には旧幕臣の娘・千代と結婚。著述活動をはじめ、明治10年([[1877年]])に自費出版で『[[日本開化小史]]』を刊行開始。翌明治11年([[1878年]])には『自由交易日本経済経済論』を出版。同年には[[沼間守一]]らの[[嚶鳴社]]設立に島田とともに発起人として参加し、[[演説]]活動も行っている。
 
翌明治12年([[1879年]])に大蔵省を辞職し、翻訳業を手がけつつ新聞への投書や著述活動を行い、同年には[[イギリス]]の『エコノミスト』誌を範とした『東京経済雑誌』を創刊し、[[自由主義]]の立場での論陣を張った。明治13年(1880年)には[[東京府]]会議員となり、憲法制定や、[[条約改正]]などの政治問題に関しても発言。[[自由党 (日本 1881-1884)|自由党]]機関紙『[[自由新聞]]』の客員も務める。
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