「本朝麗藻」の版間の差分

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'''本朝麗藻'''(ほんちょうれいそう)は[[平安時代|平安]]中期の[[漢詩|漢詩集]]。[[高階積善]]の撰。一条朝末期、[[寛弘]]7年([[1010年]])頃成立。全2巻。命名の義は不詳だが、「麗藻」は[[陸機]]『文賦』に「文章の林府に遊び、麗藻の彬々を之く」とあるのをはじめ、[[昭明太子]]『[[文選]]』・[[空海]]『[[文鏡秘府論]]』にも見えるなど、中国・日本では[[六朝]]以来用いられた語であった。一方、「藻」は先行する漢詩集『[[懐風藻]]』の題名に使われた字(ともに不遇の詩人が編んだと思われることにおいて類似点は見出される)
 
上巻は春・夏・秋・冬(闕)の四時部、下巻は山水・仏事・神祇・山荘・閑居・帝徳・法令・書籍(付勤学)・賢人・讃徳・詩・酒・贈答・餞送・懐旧・述懐の16部に分かれる。現存本は上巻の首尾を欠く。[[六朝]]風の[[七言詩]]の占める比重が頗る大きく、かつて詩境の創出におて平仄を用いた対句の弛緩や出典の固型化がみられることが指摘されたが、それらの多くが一条朝の殿上詩宴や貴顕私宅での作文会における花鳥風月の即題律詩であることを考えに入れた場合、仕方ない一面もあるといえようか
 
[[一条天皇]]・[[具平親王]]以下、[[藤原道長]]・[[藤原伊周]]・[[藤原公任]]ら[[大臣]][[卿相]]をはじめ、[[大江以言]]・[[大江匡衡]]・[[藤原為時]]・[[源為憲]]・[[源道済]]ら寛弘期に活躍した[[詩人]]36人の作品150余首([[漢詩]]と詩序を含む)を収録。作品年代の上限は[[円融天皇|円融]]朝。具平親王を別にすると藤原伊周(積善の甥)・大江以言(伊周の側近)の作が最も多く、摂関家の縁に連なる人物で暗転した境遇を想うときに、華麗な句題の枠をこえて深沈なる哀歎を覗かせる名句がみられる。摂関[[家司]]の家系の代表格であろう[[藤原広業]]([[藤原有国|有国]]の子、[[藤原遠度|遠度]]の婿)におても、地方監査・祝事奉仕の能吏というしたたかなイメージを払拭するかのごとく、このアンソロジーをとおして見えてくるのは[[長徳]]の[[紀伝道]][[文章生]]・寛弘の[[東宮学士|春宮学士]]([[後一条天皇|敦成親王]]誕生の際の[[御読書|御湯殿儀読書役]])という若き青春の記憶である
 
下巻は[[江戸時代]]の写本が多数伝わっているのに対し、首尾を欠く上巻は[[重要文化財|重文]]指定を受けている[[鎌倉時代|鎌倉]]前期の古写本([[白河天皇|白河院]]の証本を出所に持つといい、近世、[[水戸]][[彰考館]]が転写に使用した親本で、一方[[彰考館文庫|彰考館本]]は[[昭和]]二十年の[[水戸空襲|戦災]]で焼失)のみが知られる。
 
「[[群書類従]]・文筆部」所収。
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{{Portal|文学}}
*[http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/reisou/reisou.htm 『本朝麗藻』目次]
*[http://bunka.nii.ac.jp/db/heritages/detail/167825 「本朝麗藻巻上」文化遺産データベース]
 
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