「ジョージ・ワシントン級原子力潜水艦」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
A1064 (会話 | 投稿記録)
m編集の要約なし
Ikedat76 (会話 | 投稿記録)
m typo
8行目:
[[1957年]][[12月31日]]、アメリカ海軍は、長射程戦略ミサイルで武装した原子力潜水艦の建造をエレクトリック・ボート社に発注した。エレクトリック・ボート社はこの要求に迅速に応えるべく、船台上で建造中であった2隻の[[スキップジャック級原子力潜水艦|スキップジャック級攻撃原潜]]の船体を流用することにした。
 
かかる経緯からして、ジョージ・ワシントン級とは本質的には、スキップジャック級の船体の航法指揮区画と動力区画との間に40mのミサイル区画(通称「シャーウッドの森 ''Sherwood Forest''」)を挿入したものであり、全くの派生型である。とりわけ1番艦のジョージ・ワシントン(George Washington、SSBN-598)の場合、エレクトリック・ボート社の船台上で建造中であったスキップジャック級の「3番艦スコーピオン」になるはずだった船体を切断し、ミサイル区画を挿入する工事が行われており、上記のことが文字通りに当てはまる。しかし静粛性はスキップジャック級よりもはるかに優れており、放射雑音レヴェルは約15dB低い。当初は誘導ミサイル原子力潜水艦(SSGN)に類別されたが、[[1958年]][[6月26日]]付で弾道ミサイル原子力潜水艦(SSBN)となった。
 
1番艦ジョージ・ワシントンは、[[1960年]][[7月20日]]、[[ポラリス (ミサイル)|ポラリス]]・ミサイルの水中発射実験に成功し、[[11月15日]]には最初の戦略抑止哨戒に出動し、[[1961年]][[1月21日]]に帰港した。続く2番艦パトリック・ヘンリー(Patrick Henry、SSBN-599)は[[1961年]][[1月31日]]に戦略抑止哨戒に出動し、[[3月8日]]に帰港した。
 
搭載ミサイルは当初はポラリスA-1で、圧搾空気式のミサイル射出装置を装備した。[[1964年]][[6月2日]]にジョージ・ワシントンの搭載ミサイルがA-3に換装されたのを皮切りに、[[1965年]][[8月14日]]までに全艦が改装され、ポラリスA-3を運用するようになった。これに伴い、射撃指揮装置Mk84に、射出装置ガス発生式に、それぞれ改め、ポラリスA-3を運用するようになっられた。1958年の決定により、本級に始まるアメリカの弾道ミサイル原潜は、稼働率向上のため2組(「ブルー」と「ゴールド」)の乗員により運用されるになった。
 
[[1981年]]、ジョージ・ワシントン、パトリック・ヘンリー、ロバート・E・リー(Robert E. Lee、SSBN-601)の3隻は、[[第二次戦略兵器制限交渉]]の制限に基づき、戦略抑止哨戒任務から解役された。これに伴い、弾道ミサイル関連の装備は使用不能にされ(ミサイル発射筒はセメントで封鎖し、ミサイル射撃指揮装置は撤去、慣性航法装置の搭載数は1基に減数)、かわって曳航アレイBQR-15を装備し、攻撃原潜に種別変更され、退役までの日々を主に訓練任務に従事しつつ過ごした。
 
[[1981年]]、ジョージ・ワシントン、パトリック・ヘンリー、ロバート・E・リー(Robert E. Lee、SSBN-601)の3隻は、[[第二次戦略兵器制限交渉]]の制限に基づき、弾道ミサイル潜水艦の削減の実施されたことにより、戦略抑止哨戒任務から解役された。これに伴い、弾道ミサイル関連の装備は使用不能にされ(ミサイル発射筒はセメントで封鎖し、ミサイル射撃指揮装置は撤去、慣性航法装置の搭載数は2基から1基に減数)、かわって曳航アレイBQR-15を装備し、攻撃原潜に種別変更され、退役までの日々を主に訓練任務に従事しつつ過ごした。
 
==要目==