「黄金のカルテット」の版間の差分

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[[1982 FIFAワールドカップ|1982年スペインW杯]]では、[[テレ・サンタナ]]監督率いるブラジル代表を優勝候補筆頭に挙げる声が多かった。その理由が、スタープレイヤーの揃った中盤だったが、元々のフォーメーションは[[4-3-3]]であり、4人全員を一緒に起用せず、[[ミッドフィールダー|ボランチ]]はセレーゾとファルカンのどちらかを起用する予定だった。しかし、セレーゾが出場停止だった初戦のソ連戦で、ファルカンの動きが想定以上に良かったため、以後はフォーメーションを4-4-2とし、ファルカンとセレーゾを共存させることになったという経緯がある。
 
結果として、2次リーグで同大会を制することになる[[サッカーイタリア代表|イタリア]]に3vs2([[パオロ・ロッシ]]の[[ハットトリック]])で敗れ、[[優勝]]はならなかった。また、この黄金の4人で中盤が構成された試合は、同大会での4試合のみである。それでもこの大会で高い攻撃力とテクニックから見せたことから、「ブラジルサッカー史上、最も多くの人々を魅了したチーム」とも称されている。同時に、「最も前評判がいいチーム、面白いサッカーをしたチームが勝つとは限らない」という代表例として挙げられることも多い。
 
引退後、ジーコは現役生活の晩年住友金属、[[鹿島アントラーズ]]でプレーした後[[サッカー日本代表|日本代表]]監督に就任。ファルカンも日本代表監督、トニーニョ・セレーゾは鹿島アントラーズの監督を務めるなど、ソクラテスを除く3人は、日本サッカー界との縁が深い。