「戦国大名」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
18行目:
一方で、戦国期においても室町将軍体制は守護補任や地方の抗争を調停するなど一定の影響を及ぼしており、戦国大名は領国支配・拡大を行うにあたって地域支配の正統性を保証・追認させ、近隣大名を凌駕するために、幕府に運動し[[守護]]への補任を受ける事例も多い。こうした戦国期の室町将軍・守護職のあり方や戦国大名の家中において自立的な国衆の存在から、戦国期を室町将軍体制の解体過程とみなし、戦国大名を室町期守護からの権力の変質はありつつも連続性のあるものとして捉え、戦国大名を地域国家とみなす考えには否定的な[[戦国期守護]]論も提唱されている([[矢田俊文 (歴史学者)|矢田俊文]]ら)。
 
また、戦国期においても室町幕府直轄の室町殿御分国では守護、守護代の権力が維持されており、室町殿御分国内で国人領主から一国規模以上の戦国大名となったのは毛利氏、長宗我部氏のニ氏のみ、九州の龍寺氏を含めても三氏に過ぎないことから、国人領主の戦国大名化は[[関東御分国]]内特有のものとされている<ref>今岡典和、『戦国期の守護権をめぐって -越前朝倉氏の場合- 』、「関西福祉大学社会福祉学部研究紀要 12」、p.56~57、関西福祉大学社会福祉学部研究会、2009年。</ref>。
 
一方で、戦国大名は武田信玄の信濃守護補任など地域支配への明瞭な影響の認められない事例も存在し、戦国大名は守護公権とは別に独自の大名権力をもっていたと評価されている。また、支配正統性の確立・近隣への優越という動機に基づいて、朝廷へ多額の貢納を行う見返りに [[官位]]([[武家官位]])を獲得する戦国大名も多数存在しており、権威づけが守護職に限られないのも戦国大名の特徴である。これにより衰亡寸前だった[[天皇]]の権威が再認識されることとなり、天皇は戦国末期~[[安土桃山時代|安土桃山期]]の天下統一に少なからぬ役割を果たした。