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2017年4月10日 (月) 19:21時点における版
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Mimiku123
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オクヤマ
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41行目:
[[諸葛亮]]は後に『出師の表』で、孫氏に江東を席捲させた人物として王朗と共に名指しで批判している。
小説
『[[三国志演義]]』では、太史慈を使いこなせず孫策に敗北する凡庸な群雄の一人として描かれ、太史慈に後事を任せて逃走している。豫章没落後については、諸葛亮の経歴説明時に、豫章において従父に敵対した勢力の一人として名前が挙がるのみである。
== 劉繇を題材とした作品 ==