「クレメンス・クラウス」の版間の差分

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クラウスの指揮ぶりはリヒャルト・シュトラウスと同様、非常に無駄のない小さい身振りでオーケストラから最大限の能力を引き出すというものだった。クラウスに師事した[[オトマール・スウィトナー]]によれば、当時の指揮者でバトンテクニックに優れていたのはクラウスと[[ハンス・クナッパーツブッシュ]]であったという。
 
また、芸術に対する厳しい姿勢もあり、[[ハンス・ホッター]]は「舞台上演の後に練習をすることもあった」と語っている。
 
ウィーン生まれの指揮者で大成した存在は意外と少なく、戦後まで活躍した中で世界的大指揮者の域に達したのは(現在もなお)クラウスとエーリヒ・クライバーしかいない。クライバーは(ウィーンに居住したことのない息子の[[カルロス・クライバー|カルロス]]はもちろんのこと)むしろウィーン的伝統とは距離を置いた革新派と見られていたこともあり、強い個性の中にもウィーンの香りを忘れなかったクラウスの名は「最後のウィーンの巨匠」として今なお懐旧と畏敬を込めて語られ続けている。