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呉権
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2017年6月7日 (水) 08:32時点における版
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呉権は北方王朝の節度使の廃止を決定し、中央に新しい朝廷を樹立した。王が朝廷の先頭に立ち、政治・外交・軍事の全てを決定することにしたのである。文武の官僚を置き、朝廷内の儀礼と官吏の服装の色を階級に応じて規定した。
また功績のある将軍を選んで、重要な各州を治めさせた。[[丁公著]]は[[演州|驩州]]、[[矯公罕]]は
峯
峰
州(現在の[[フート省]])の刺史となった。[[944年]]、古螺で世を去った。
== 人物 ==
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