「ヒズル・ホージャ」の版間の差分

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『[[明史]]』などの[[漢語]]史料では「黒的児火者」と表記される。[[トゥグルク・ティムール]]の子で、[[イリヤース・ホージャ]]の弟。
 
{{仮リンク|[[グラト|en|Dughlats|label=グラト部}}]]の[[カマルッディーン]]によって[[イリヤース・ホージャ]]が暗殺された後、イリヤース・ホージャの兄弟ヒズル・ホージャは[[イリ川|イリ川谷]]から離れて[[ウイグルスタン]]に移り、[[トルファン市|トルファン]]で再起を図った<ref name="rakh27">ラフマナリエフ「チムールの帝国」『アイハヌム 2008』、27頁</ref>。
 
[[1389年]]の[[ティムール]]のモグーリスタン遠征ではカマルッディーンだけでなくウイグルスタンのヒズル・ホージャも攻撃を受け、敗れたヒズル・ホージャは[[ゴビ砂漠]]に逃走した<ref name="rakh27"/>。[[1390年]]にカマルッディーンは消息を絶ち、ヒズル・ホージャはドグラト部の当主ホダーイダードの助けを得てハンに即位する<ref name="rakh28">ラフマナリエフ「チムールの帝国」『アイハヌム 2008』、28頁</ref>。即位から間も無く、ティムールと講和した<ref name="rakh28"/>。