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{{Otheruses|サッカー選手|プロレスラーのカフー|ビクター・セロン}}
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'''カフー'''(Cafu)こと'''マルコス・エバンジェリスタ・デ・モラエス'''('''Marcos Evangelista de Moraes'''、[[1970年]][[6月7日]] - )は、[[ブラジル]][[サンパウロ]]出身の[[サッカー選手]]である。[[サッカーのポジション|ポジション]]は[[ディフェンダー (サッカー)|ディフェンダー]](右サイドバック、右ウィングバック)。
 
「カフー」は[[ニックネーム]]で、1970年代に活躍した'''カフリンガ'''('''[[:en:Cafuringa{{enlink|Cafuringa]]''')}}という名前のサッカー選手に由来する。長らく活躍した[[イタリア]]では振り子を意味する「イル・ペンドリーノ(il Pendolino)」という異名で呼ばれたこともあった。また'''右サイドの支配者'''という異名でも呼ばれる。
 
== 経歴 ==
=== クラブ ===
==== ブラジル時代 ====
1988年、18歳の時に地元[[サンパウロ]]の[[サンパウロFC]]に入団した。入団後にサイドバックにコンバートされ、<br>1993年の[[インターコンチネンタルカップ (サッカー)|トヨタカップ]]制覇に貢献するなど活躍した。1994年の[[1994 FIFAワールドカップ|ワールドカップ]]における活躍が認められて[[スペイン]]・[[リーガ・エスパニョーラ]]の[[レアル・サラゴサ]]に移籍した。しかし、レアル・サラゴサでは機能せず1年で退団し、再び地元サンパウロの[[SEパルメイラス|SEパウメイラス]]に移籍することになる。
1993年の[[インターコンチネンタルカップ (サッカー)|トヨタカップ]]制覇に貢献するなど活躍した。<br>
1994年の[[1994 FIFAワールドカップ|ワールドカップ]]における活躍が認められて[[スペイン]][[リーガ・エスパニョーラ]]の[[レアル・サラゴサ]]に移籍した。しかし、レアル・サラゴサでは機能せず1年で退団し、再び地元サンパウロの[[SEパルメイラス|SEパウメイラス]]に移籍することになる。<br>
 
==== ASローマ ====
1997年、今度は[[イタリア]][[セリエA (サッカー)|セリエA]]の強豪[[ASローマ]]に移籍。この移籍は前回の欧州移籍と違い成功し、ASローマの18年ぶりとなるスクデット制覇に貢献するなど主力として活躍した。<br>
 
==== ACミラン ====
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同じ時期に左サイドバックのレギュラーとして起用されていた[[ロベルト・カルロス・ダ・シウバ|ロベルト・カルロス]]とは攻撃的なサイドバックコンビとして、果敢なオーバーラップを見せていた。また、長らくキャプテンを務め、ブラジル代表の精神的支柱でもあった。
 
2006年の[[2006 FIFAワールドカップ|ドイツ大会]]では準々決勝のフランス戦で、ブラジル代表は中盤を封じられたため、ボールがロベルト・カルロスとカフーに集まったものの、2人は共に低調なプレーに終始しボールを奪われるシーンが目立ったことから、ブラジル本国などでは敗退の大きな原因として槍玉に挙げられた。これ以後、カフーは年齢のこともあり、代表招集されることはなくなっている(長らく両サイドバックとして活躍してきていたロベルト・カルロスはこのワールドカップでの代表引退を表明しており、やはり以後招集されていない)
 
現在のところ、代表通算キャップ数は142を数えており、これはブラジル代表における歴代最多記録である。また、1994年、1998年、2002年、2006年の4度の[[FIFAワールドカップ]]に出場しているが、このうち2006年を除く3回はいずれも決勝まで進んでおり(優勝2回、準優勝1回)、[[決勝戦]]の試合出場を3度経験した唯一の選手である。