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==生誕100周年と再評価への動き==
中国共産党は[[2015年]]11月20日、胡の生誕100周年の記念座談会を北京・[[人民大会堂]]で開き、[[習近平]]党総書記ら党最高指導部の[[政治局常務委員]]が全員出席した<ref name="asahi20151121m11"/>。胡の死が天安門事件の伏線となっただけに、「胡氏の評価は、鄧小平氏の否定につながる敏感な問題」(北京大学の政治学者)と言われ、その歴史的位置づけに党は腐心してきた<ref name="asahi20151121m11"/>。[[江沢民]]党総書記の時代は党中央は追悼行事をしなかった<ref name="asahi20151121m11"/>。また前述のように、[[胡錦濤]]党総書記時代は、生誕90周年にあたり、座談会に政治局常務委員が3人のみ出席しただけで、胡錦濤総書記は、座談会に欠席した<ref name="asahi20151121m11"/>。これに対し、習指導部は盛大に追悼行事を行い、演説で胡を「偉大な革命家で政治家」と讃え、庶民に心を砕き、実務的な政治姿勢を崩さず、清廉さを保った胡に学ぶべきだと述べた<ref name="asahi20151121m11"/>。また、胡の著述をまとめた「胡耀邦文選」の出版も認めた<ref name="asahi20151121m11"/>。しかし、習総書記の演説では民主化問題には触れなかった<ref name="asahi20151121m11"/>。政治改革を巡る議論には踏み込まず、中国の発展に力を注いだ胡の「理想」を強調することで、党内の融和と団結を訴えた<ref name="asahi20151121m11"/>。ただし、[[中国中央電視台]]の胡耀邦生誕100年記念番組中、1982年9月14日付けの胡の共産党総書記就任を伝える党機関紙・[[人民日報]]の1面を映したが、その紙面にあった[[趙紫陽]]の写真が外されていたことが朝日新聞で報じられた<ref name="asahi20151124m8">朝日新聞(2015年11月24日朝刊)8面「中国国営テレビ趙氏の写真外す 胡耀邦氏生誕100年番組」</ref>。人民日報にあった本来の紙面では、胡耀邦、[[葉剣英]]、鄧小平と並んでいた趙首相の写真が、序列5位の[[李先念]]国家主席の写真に差し替えられていた<ref name="asahi20151124m8"/>。第2次天安門事件をタブー視する姿勢に変化がないことを示すものである<ref name="asahi20151124m8"/>。
 
== 発言 ==
1979年2月に胡は「もし中国人民が我々中国共産党の歴史の真相を知ったならば、人民は必ず立ち上がり我々の政府を転覆させるだろう」とのスピーチをしている。中国共産党の表の党史には語られていない裏事実があることを[[遠藤誉]]は語っている<ref>https://news.yahoo.co.jp/byline/endohomare/20170608-00071879/</ref>。
 
== 脚注 ==