「京都朝鮮学校公園占用抗議事件」の版間の差分

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[[安田浩一]]によると2009年までは特に地域住民から市への苦情などは寄せられていなかったとされるが{{Sfn|安田浩一|2012|p=110}}、[[SAPIO]]の2014年6月号の記事によると、朝鮮学校に占有されていたために公園に近づけない、朝鮮学校の人間に公園から追い出されたといった複数の住民の証言がある<ref name="post7"/>。2009年2月に[[阪神高速道路]]の延伸工事に伴って公園の面積が大幅に縮小されて以降は公園の使用に関するトラブルが増加し、事件前の2010年8月27日の時点では近隣住民から朝鮮学校の公園使用について京都市へ苦情が寄せられるようになっていたという<ref name="kyoudou0827"/>。抗議者側を批判する立場からは'''京都朝鮮学校襲撃事件'''と呼ばれる<ref>中村一成『ルポ 京都朝鮮学校襲撃事件』(岩波書店、2014)</ref>。
 
2014年まで、刑事・民事のいずれについても確定判決が下りており、初級学校側は、都市公園法違反により罰金10万円の略式命令を受け<ref name="kyotochisai"/>、在特会等は、構成員等が刑事事件として侮辱罪・威力業務妨害罪・器物損壊罪について執行猶予付の有罪判決を受けたほか<ref name="kyotochisai"/>、朝鮮学校側提訴の民事訴訟においては、朝鮮学校による公園の使用や私物の設置が市の許可を得ておらず違法状態のまま継続されてきたことや近隣住民とのトラブルの存在が[[事実認定]]されたものの、「公園の不法占拠を糾弾するだけでなく、在日朝鮮人を劣悪な存在であるとして嫌悪・蔑視し」「公益を図る目的であったということはできない」<ref name="控訴審 判決文"/>として街宣の禁止と計1226万円3140円の賠償命令を受けた<ref name="kyotochisai"/>。なお、この事件は、[[公安調査庁]]が年次で発行している[[内外情勢の回顧と展望]](平成22年版)においても「[[排外主義]]を掲げ執拗な糾弾活動を展開する[[右派系市民グループ|右派系グループ]]」として、コラム内で取り上げられている<ref name="kouan2011"/>。
 
== 事件に至るまでの経緯 ==