「グリニッジ天文台」の版間の差分

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本初子午線ではないことを記述。
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[[1675年]]に[[イングランド]]国王[[チャールズ2世 (イングランド王)|チャールズ2世]]が設立した王立天文台で、初代天文台長は[[ジョン・フラムスティード]]。王立天文台 (Royal Greenwich Observatory, RGO) は[[1957年]]に[[イースト・サセックス]]のハーストモンソーに移転し、グリニッジの天文台は「旧王立天文台」(Old Royal Observatory) となった。RGOは[[1990年]]に[[ケンブリッジ]]に移転した後、[[1998年]]に閉鎖され、旧王立天文台が再び「グリニッジ天文台」(Royal Observatory, Greenwich) と呼ばれるようになった。現在は観測機器はなく、[[史跡]]として維持されている。
 
[[1851年]]に台長[[ジョージ・ビドル・エアリー|エアリー]]が本館(当時)に[[子午環]]を設置し、窓の中心を基準として観測を行い、この地点([[グリニッジ子午線]]上)の[[平均太陽時]]である[[グリニッジ平均時]]を定めていた。その後、世界共通の経度の基準(経度0度、[[本初子午線]])と定められ、世界の経度および時刻の基準を担っていた。1833年に設置された[[報時球]]は現在も稼働している。<!--[[経度]]0度と定め、経度および時刻の基準([[グリニッジ標準時]])点として観測等を行なっていた。-->
 
なお、現在では、[[エアリー]]の[[子午環]]は、正確には'''[[本初子午線]]ではなくなっている'''。[[本初子午線]]は、エアリーの子午環から東へ、角度 5.301 秒、距離にして102.478 m の位置を通過している(詳細は[[本初子午線]]、[[IERS基準子午線]]を参照のこと)<ref>{{cite journal| url = http://link.springer.com/article/10.1007%2Fs00190-015-0844-y | title = Why the Greenwich meridian moved | first1 = Stephen | last1 = Malys | first2 = John H. | last2 = Seago | first3 = Nikolaos K. | last3 = Palvis | first4 = P. Kenneth | last4 = Seidelmann | first5 = George H. | last5 = Kaplan | journal = Journal of Geodesy | date = 1 August 2015 | doi = 10.1007/s00190-015-0844-y|bibcode = 2015JGeod..89.1263M }}</ref>。