「ノート:大乗仏教」の版間の差分

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Leonidjp (会話 | 投稿記録)
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また、上述の脚注には「パーリ語仏典ではもっぱら大衆という意味に訳される」と書いてありますが、その旨の記述はこの1487頁にありませんでした。maha janaの語義としては「大勢の人々(大衆)」と書いてあるだけです。1487頁ではその後に用例の提示が続いているようですが、「もっぱら○○である」というように全体的な傾向を述べた解説はありませんし、用例の翻訳を示した文ではmaha janaが日本語に訳されてません。--[[利用者:Leonidjp|Leonidjp]]([[利用者‐会話:Leonidjp|会話]]) 2017年6月9日 (金) 07:37 (UTC)<br />
辞典名修正。なお、私が参照したのはこの辞典の2009年の版です。--[[利用者:Leonidjp|Leonidjp]]([[利用者‐会話:Leonidjp|会話]]) 2017年6月9日 (金) 07:40 (UTC)
 
:中村元 『広説佛教語大辞典』 東京書籍では mahā jāna となっていたので、それをコピペしてしまったようで、訂正した。『パーリ仏教辞典』 春秋社 1487頁の mahā jana の用例の中には、比喩ととれば大乗と解釈できないこともないものがあって、なかなか意味深いものがあります。確か宇井伯寿とかが、大乗の起源は[[経量部]]だとしきりに喧伝したみたいですが年代的に合致せず、もっと前の[[大衆部]]とする説があるようなので、基礎研究的には面白いかもしれない。私はリベラルアーツなので興味ありませんが。--[[特別:投稿記録/118.83.141.75|118.83.141.75]] 2017年6月9日 (金) 17:28 (UTC)
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