「斎藤利藤」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
利安の長井表記を削除
1行目:
'''斎藤 利藤'''(さいとう としふじ、生年不詳 - [[明応]]7年[[1月12日 (旧暦)|1月12日]]([[1498年]][[2月3日]]))は、[[室町時代]]の[[武将]]。[[美濃国|美濃]][[守護代]]。[[斎藤利永]]の嫡男。[[斎藤典明|典明]]、[[斎藤妙純|利国]](妙純)、[[長井斎藤利安|利安]]、[[斎藤利綱|利綱]]の兄。通称は帯刀左衛門尉、官位は[[越前国|越前守]]と称す。子に源四郎、[[日運]]<ref>『古代氏族系譜集成』の斎藤氏系図では[[斎藤妙純]]の子で長井利隆の弟とも</ref>。以前は叔父[[斎藤妙椿]]と同一人物と考えられてきたが、別人とされる。
 
父の死後、守護代職を継承するが、実権は叔父の斎藤妙椿に握られ、守護代として力を揮う事は出来なかった。妙椿が死ぬと、[[室町幕府]]に接近し幕府の権威を借りて、異母弟で妙椿の養子となった利国(妙純)と争い、[[文明 (日本)|文明]]12年([[1480年]])8月には遂に合戦を始める([[美濃文明の乱]])。利藤は[[墨俣城]]を拠点にして戦うが、同年11月には敗れて[[近江国|近江]]の[[六角氏]]の元に亡命、更に[[京都]]へ赴き幕府の庇護を受けた。[[長享]]元年([[1487年]])5月、守護[[土岐成頼]]と妙純との和議が成立し、美濃守護代職に返り咲く。