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=== 日本のインフレ ===
江戸時代の[[徳川綱吉]]のときに勘定吟味役[[荻原重秀]]が、幕府の財政拡大による財政赤字増大と元禄・宝永の改鋳による金銀含有率の引き下げによってをおこない、インフレとなった。その次の[[新井白石]]が幕府の歳出を減らし、正徳・享保の改鋳で金銀含有比率を[[慶長小判]]の水準に戻して、インフレを抑制した。 その次の[[徳川吉宗]]の[[享保の改革]]においても金銀含有比率を維持するために緊縮財政を続けたが、米などの物価が下落したので、元文の改鋳を行い貨幣流通量を増加させ、デフレを抑制した。
 
[[第二次世界大戦]]中の日本政府の借入金総額は国家財政の約9倍になっていた。戦争中は統制経済と戦時[[国債]]の個人購入で資金を吸収して、戦時インフレ傾向を抑えていたが、敗戦でこの仕組みが破綻し、インフレ傾向が一気に表面化した。なおかつ、政府が軍発注物資の代金を一挙に払ったため通貨の大幅な供給過剰に陥り、ハイパーインフレが発生した。