「鷲羽山佳和」の版間の差分

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小兵力士ながら36歳まで現役を務めており、大型力士が輩出した時代の中では特筆される。現役時代晩年には幕内と十両を往復していたが、その当時に[[黒船]]と称されるほどの快進撃を続けていた[[小錦八十吉 (6代)|小錦八十吉]]を破り、話題になった。また、[[相撲茶屋]]「伊勢福」の女将(元[[小結]]・[[大起男右エ門|大起]]の未亡人)の養子となって、鈴木姓から石田姓に改めた。
 
1981年3月場所6日目に行われた座談会では9代出羽海の喜ぶ顔を見るために相撲を取っていることなどを明かした<ref>『大相撲名門列伝シリーズ(1) 出羽海部屋・春日野部屋 』p57</ref>。
 
[[1985年]](昭和60年)11月場所後に現役を引退して年寄・[[境川 (相撲)|境川]]を襲名し、以後は出羽海部屋付きの親方として、後進の指導に当たった。