「畠山政国」の版間の差分

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{{otherusesOtheruseslist|'''河内畠山氏尾州家の政国'''|河内畠山氏総州家の政国|畠山政国 (総州家)|二本松畠山氏の政国|二本松政国}}
{{基礎情報 武士
| 氏名 = 畠山政国
| 藩 =
| 氏族 = [[畠山氏]](尾州家)
| 父母 = 父:[[畠山尚順]]、母:不詳
| 兄弟 = [[畠山稙長|稙長]]、[[畠山長経|長経]]、'''政国'''、[[畠山晴熙|晴熙]]
| 妻 = 不詳
| 子 = '''[[畠山高政|高政]]'''、[[畠山政尚|政尚]]、[[畠山昭高|昭高]]
| 特記事項 =
'''畠山 政国'''(はたけやま まさくに)は[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]の[[武将]]。[[紀伊国|紀伊]]・[[河内国|河内]]・[[越中国|越中]]の[[守護大名]]、[[戦国大名]]。畠山尾州家の出身。
 
畠山氏は[[室町幕府]][[管領|三管領]]のひとつであり、政国はその嫡流筋である。しかし、幕政においては祖父[[畠山政長]]が[[細川政元]]に自害に追い込まれてより幕府参画の機会を失った上、嫡流の座をめぐって総州家と尾州家に分裂。尾州家有利といえども分裂状態は政国の代になってもなお解消されず、下剋上さえも起きる戦国時代にあって、守護の実権をめぐって重臣の権力争いに悩まされていた。
 
__TOC__{{-}}
天文14年([[1545年]])に兄の稙長が死去すると重臣の[[遊佐長教]]に当主として擁立されたが、兄が室町幕府の権力者[[細川晴元]]に反乱を起こした[[細川氏綱]]に加担していたため、幕府から当主として認められず代わりに畠山四郎なる人物が擁立された(しかし、家臣の支持を得られずすぐに排除された)。長教ら家臣団は幕府の介入排除のため政国擁立と氏綱援助を継続したが、政国は当主ではなく当主名代と認識されていた。
== 生涯 ==
畠山氏は[[室町幕府]][[管領|三管領]]のひとつであり、政国はその嫡流筋である。しかし、幕政においては祖父[[畠山政長]]が[[細川政元]]に自害に追い込まれてより幕府参画の機会を失った上、嫡流の座をめぐって総州家と尾州家に分裂。尾州家有利といえども分裂状態は政国の代になってもなお解消されず、[[下剋上]]さえも起きる戦国時代にあって、守護の実権をめぐって重臣の権力争いに悩まされていた。
 
天文14年([[1545年]])に兄の稙長が死去すると重臣の[[遊佐長教]]に当主として擁立されたが、兄が[[室町幕府]]の権力者[[細川晴元]]に反乱を起こした[[細川氏綱]]に加担していたため、幕府から当主として認められず代わりに畠山四郎なる人物が擁立された(しかし、家臣の支持を得られずすぐに排除された)。長教ら家臣団は幕府の介入排除のため政国擁立と氏綱援助を継続したが、政国は当主ではなく当主名代と認識されていた。
天文18年([[1549年]])に[[江口の戦い]]で長教が[[三好長慶]]と共に晴元派を打ち破り晴元が13代[[征夷大将軍|将軍]][[足利義輝]]と共に[[畿内]]から逃亡すると、長教と方針を巡り対立して出家、紀伊へ遁世した。引退後は政国の嫡男である高政が当主となっている<ref>弓倉、P238 - P246。</ref>。
 
天文18年([[1549年]])に[[江口の戦い]]で長教が[[三好長慶]]と共に晴元派を打ち破り晴元が13代[[征夷大将軍|将軍]][[足利義輝]]と共に[[畿内]]から逃亡すると、長教と方針を巡り対立して[[出家]][[紀伊国]]へ遁世した。引退後は政国の嫡男である高政が[[家長|当主]]となっている<ref>弓倉、P238 - P246。</ref>。
天文19年(1550年)に没したといわれているが、天文21年(1552年)の段階で隠居として健在であった記録が存在するため、現在では天文年間末期頃の死没とする見方もある。また、兄弟の晴熙も播磨守を名乗っていたことと、かつて[[畠山弥九郎]]という人物が政国と同一人物扱いされていたため、天文5年([[1536年]])から7年([[1538年]])までの晴熙の経歴及び天文7年から10年([[1541年]])までの弥九郎の経歴と政国の経歴は混同されている<ref>弓倉、P258 - P263、P326 - P328。</ref>。
 
天文19年(1550([[1550]])に没したといわれているが、天文21年(1552([[1552]])の段階で隠居として健在であった記録が存在するため、[[2017年]]現在では天文年間末期頃の死没とする見方もある。また、兄弟の晴熙も[[播磨国|播磨守]]を名乗っていたことと、かつて[[畠山弥九郎]]という人物が政国と同一人物扱いされていたため、天文5年([[1536年]])から7年([[1538年]])までの晴熙の経歴及び天文7年から10年([[1541年]])までの弥九郎の経歴と政国の経歴は混同されている<ref>弓倉、P258 - P263、P326 - P328。</ref>。
 
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
<references />
{{Reflist}}
 
 
== 参考文献 ==
* [[弓倉弘年]]『中世後期畿内近国守護の研究』[[清文堂出版]]、[[2006年]]
 
 
{{先代次代|[[畠山氏|河内畠山氏 (尾州家)]]当主|畠山政国|[[畠山稙長]]|[[畠山高政]]}}
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