「ミスターのいいじゃないか!運動」の版間の差分

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'''ミスターのいいじゃないか!運動'''は、[[水曜どうでしょう]]企画「[[水曜どうでしょうの企画#プチ復活!思い出のロケ地を訪ねる小さな旅|プチ復活!思い出のロケ地を訪ねる小さな旅]]」内での[[大泉洋]]の発言から生まれた、ミスター[[鈴井貴之]]の考え。これの反語に当たるのは「合宿」。
 
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== 概要 ==
 
番組の企画で[[大分県]]内を自動車で移動中に、[[豊後牛]]を食べたい大泉がこの言葉を発した。
 
この運動は主に「[[水曜どうでしょうの企画#対決列島~the battle of sweets~|対決列島]]」企画で発された(これを「いいじゃないか!旋風」という)。「宿には4時までにチェックインする」がこの運動の主な行動である。
 
この話のときに画面左下に、ミスターが「いいじゃないか!」といいながら踊る姿がアニメーションで表示された。上は半被姿、下は半ズボンである。のちのいいじゃないか!踊りの元となった。
 
番組開始当初は後述のとおり、ロケを遂行することに燃えていた鈴井であったがある時期を境にどうでしょうはテレビ番組ではないと考えるようになり、番組後期ではロケより宿など当初とは逆の考えになったことから、大泉やD陣などがそれをたとえにいいじゃないかと発したことが始まりである。
 
ただ、ある時期というのっても一度に変化したわけで多々ありなく本来変化は段階的なものだった。番組開始当初、鈴井は自分がメインであり自分が番組を引っ張る立場にあったため番組を成立(=旅を遂行する)させるためにがんばってきたが、自分ががんばる姿よりも、大泉のしゃべり・D陣とのやりとりの方が面白いいくら旅を遂行させようとしても、大泉やD陣が旅を崩壊(寄り道など)させ、そちらの方が番組として結果おもしろくなったなど'''タレント大泉洋へのタレントとしての嫉妬'''が強くなり、番組が1999年に半年間休止する頃に'''これで番組を終わらせてもいいのではないか、もしくは続けるとしても自分はもう出なくてもいいのではないか'''と考えるようになった。
 
しかし、2000年に放送された復帰作喜界島1周以降この番組はテレビじゃないんだ。だから、俺は(テレビ的に)がんばらなくてもいいんだ。面白いことは彼らにまかせて、俺はこの旅を一人でも遂行させればいいんだという考えになり、自分が発案していない企画では旅より宿のスタイルになった。
 
== 過去の影響 ==
 
これにより、水曜どうでしょう全体の歴史の後半から、初期にあった「ミスターの合宿」がなくなった。これは「企画の目的を達成する」為に、当時元気だったミスターによる強行スケジュールのことである。
 
 
== その後 ==
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*このあとから、いいじゃないか姿のミスターの絵がグッズになった。しかし「プチ復活!」が北海道並びに[[インプレスTV]]のみの放送だった為、道外のファンの大部分はこの番組が収録されているDVD全集第6弾が発売されるまで、なんのことかわからなかった。
 
== 内部リンク関連項目 ==
 
*[[水曜どうでしょう]]
*[[水曜どうでしょうの企画]]
**[[水曜どうでしょうの企画#プチ復活!思い出のロケ地を訪ねる小さな旅|プチ復活!思い出のロケ地を訪ねる小さな旅]]
 
*[[ミスターのいいじゃないか!踊り]]
 
*[[樋口了一]]
 
== 外部リンク ==
 
*[http://www.htb.co.jp/suidou/ 水曜どうでしょう]
 
 
[[Category:水曜どうでしょう|みすたあのいいしやないかうんとう]]
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