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[[松方幸次郎]][[Image:Shozo.jpg|thumb|川崎正蔵(1900年代初頭)]]
 
'''川崎 正蔵'''(かわさき しょうぞう、[[天保]]7年[[7月10日 (旧暦)|7月10日]]([[1836年]][[8月10日]]) - [[大正]]元年([[1912年]])[[12月2日]])は[[日本]]の[[実業家]]、[[政治家]]。[[神戸川崎財閥]]の創設者。[[川崎造船所]]創業者。美術蒐集家。川崎美術館(日本で最初の私立美術館)建設。[[貴族院 (日本)|貴族院]]議員。[[男爵]]。幼名・磯治。[[従五位]]。
 
== 人物 ==
[[薩摩国]][[鹿児島城]]下[[大黒町 (鹿児島市)|大黒町]]([[鹿児島県]][[鹿児島市]]大黒町)生まれ。17歳の時長崎に出て貿易に従事、藩命によって金・米を扱った。鹿児島町吏、さらに大坂の蔵屋敷用達を命ぜられたが、貿易に着目して藩庁を説き、西洋型帆船数隻を購入して薩摩国産物を畿内に輸送、巨利を博した。明治4年([[1871年]])上京し、明治6年([[1873年]])帝国郵便汽船会社副社長となり、東京、琉球間の郵便航路開始に尽力した。同社は明治11年([[1878年]])に[[三菱汽船会社]]と合併する。明治10年([[1877年]])大阪に官糖取扱店を開き、また琉球反物の運送販売により巨利を得て、念願であった造船業を開始。明治11年(1878年)築地造船所、明治13年([[1880年]])兵庫川崎造船所を開業、明治19年([[1886年]])には官営兵庫造船所の払い下げを受けて、明治20年([[1887年]])[[川崎造船所]](現・[[川崎重工業]])を設立。明治29年([[1896年]])川崎造船所を株式に改組し、自らは顧問に退いた。事実上後継者がいなかった正蔵は、同郷の先輩であり自分の事業の恩人でもあった[[松方正義幸次郎]]の三男・[[松方幸次郎正義]]の三男)後継者初代社長選ぶ、川崎芳太郎(娘婿で養子)を副社長に抜擢した。一方、明治23年([[1890年]])9月29日に[[貴族院 (日本)#勅任議員|貴族院多額納税者議員]]<ref>『官報』第2179号、明治23年10月2日。</ref>、明治31年([[1898年]])「[[神戸新聞]]」を創刊、明治38年([[1905年]])[[神戸川崎銀行]]を開設、監督に就任した。また美術品の収集でも知られ、1890年、神戸の自邸内に川崎美術館をつくり、'''とその付属館である長春閣'''と名付けをつくった。
 
== 長春閣・美術蒐集家としての正蔵 ==