「矢作川の戦い」の版間の差分

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'''矢作川の戦い'''(やはぎがわのたたかい)は、[[建武 (日本)|建武]]2年[[11月25日 (旧暦)|11月25日]]([[1336年]][[1月8日]])から27日にわたり、[[後醍醐天皇]]の命をうけた[[新田義貞]]とその弟・[[脇屋義助]]ら京側の軍勢6万余騎と、[[北条時行]]を討伐したのち鎌倉を占拠していた[[足利尊氏]]旗下の[[足利直義]]・[[高師泰]]ら軍勢20万7千騎とに、それぞれに大名が集結、矢矧川で対峙。京側1万9千騎と、足利勢3万6千騎の間でわれた合戦。
 
双方は[[三河国]]で[[矢作川]]([[愛知県]][[岡崎市]])を挟んで布陣し、これに敗れた足利勢は[[遠江国]]に退却した<ref>[http://www.nihonjiten.com/data/35126.html 「矢作川の戦い」]日本辞典</ref>。鷺坂・[[手越河原の戦い]]と、京側の勝利がつづく
 
== 関連項目 ==
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== 注釈 ==
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== 出典 ==
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* 『太平記』、『新潮日本古典集成(二)』 著者 山下宏明 発行 新潮社
 
 
 
== 参考文献 ==