「経 (仏教)」の版間の差分

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=== 日本 ===
日本では、『[[日本書紀]]』で白雉2年(651年)の記述に「一切経」が初めて現れるが事実とは考えられていない。その後も「一切経」はしばしば現れ、経典の収集、写経、読誦をしめす<ref name="sueki">{{Cite |和書 |author = 末木文美士 |title = 日本仏教入門 |date = 2014-03-21 |publisher = KADOKAWA/角川学芸出版 |isbn = 4047035378 }}</ref>。[[竹内亮]]によれば、日本では「一切経」の名前は知られてはいたものの、その構成する経録(リスト)である入蔵録の請来は[[玄ボウ|玄&#x6609;]]によるもの(後述)が初めてと推定され、[[光明皇后]]がこれに基づいて一切経の写経を行おうとしたところ、一切経を構成する全ての経典が日本国内に備わっていないことが判明したため、蔵外である[[別生経]][[偽経]]、更には注釈書(章疏)の類までを書写してこれに代えた(「五月一日経」)と伝えられていることから、日本では「一切経」という言葉が"手に入る限り一切の(仏教)経典"という意味に読み替えられていたのではないかと推測している<ref>竹内亮「大寺制の成立と都城」『日本古代の寺院と社会』(塙書房、2016年) ISBN 978-4-8273-1280-5 P96-98</ref>。
 
とくに、[[天平]]7年([[735年]])[[玄ボウ|玄&#x6609;]]が請来(将来)した五千余巻は、当時の欽定大蔵経と推定される。底本とされ大規模な写経がおこなわれた。