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コンブ

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== 歴史 ==
[[爾雅]]』(紀元前3世紀〜2世紀ころ)には、「綸(という発音で呼ばれているもの)は綸に似ている。組(という発音で呼ばれているもの)は組に似ている。これは東海にある」<ref>[http://ctext.org/er-ya/shi-cao#n38782 爾雅 釋草 199]</ref>と書かれており、『呉普本草』(3世紀前半〜中葉)には綸布の別名が昆布であるとする。また、[[陶弘景]](456-536年)は、「昆布」が食べられることを記している<ref name="本草綱目" />。ただし、前述のように、この「昆布」が日本で言う昆布と同じものなのかは定かでない。
 
日本では、古くから昆布が食べられてきた。縄文時代の遺跡からは、ワカメなどの海藻の植物遺存体が見つかっており<ref>[http://www.hijiki.org/html/content02.htm 日本ひじき協議会]、[http://www.rikenvitamin.jp/wakamekg/vol11.html わかめ健々学々]</ref>、コンブもまた、この時代から食されていたかもしれない。文字資料で残っているものとしては、前述の「軍布(め)」は、音から推測して、コンブであった可能性がある。[[続日本紀]]([[797年]])の[[霊亀]]元年(715年)十月丁丑条には、[[蝦夷]](大和朝廷に属さない東北人一般とする説と、アイヌ人説がある)の[[須賀古麻比留]]が「先祖代々、朝廷に献上している昆布はこの地で取れるもので、毎年欠かしたことがない」と言った、とある。[[平安時代]]の[[延喜式]]([[927年]])にも、陸奥から貢納されていたことが記されている。また、三[[管領]]の一家に数えられた[[細川氏]]は、元海賊であった水軍の舟で[[京都]]に持ち込んだとされる{{要出典|date=2012年11月}}。[[安土桃山時代]]には城建築の際に石を滑らせるための材料として使用していた。[[安土城]]や[[大阪城]]でもこの工法が使われている。
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