「59式戦車」の版間の差分

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|副武装=[[DShK38重機関銃|54式12.7mm機関銃]]<br/>[[SG-43重機関銃|59式7.62 mm機関銃]]
|装甲=鋳造砲塔・溶接鋼板
|エンジン名=12150L<br/>[[4ストローク機関|4ストローク]][[V型12気筒]]<br/>[[水冷]][[ディーゼルエンジン|ディーゼル]]
|出力=520 [[馬力|hp]]
|乗員=4名
|備考=
}}
'''59式戦車'''(59しきせんしゃ {{lang|zh|59式主战坦克}}・WZ-120)は、[[中華人民共和国]]の[[中戦車]]であり[[ソビエト連邦]]の技術指導の元、[[1959年]]に[[ライセンス生産]]された[[T-54]]である。

[[1980年代]]半ばまでに10,000輌以上が生産された。現在でも数多くの改修が行われながら5,000輌近くが[[中国人民解放軍]]で現役にあり、全ての中国[[戦車]]の基礎である。旧式化に伴い[[96式戦車]]や[[99式戦車]]との交代が進められている。
 
== 開発 ==
1949年の中華人民共和国建国の時点で[[中国人民解放軍]]は375両の戦車を保有していたが、それらは旧[[日本軍]]の[[95式軽戦車]]や[[九七式中戦車|97式/97式改]]中戦車]]などの[[日本]]製戦車、[[第二次国共内戦]]での[[国民政府軍]]から捕獲した[[M4中戦車]]や[[M3軽戦車]]などの[[アメリカ合衆|アメリカ]]製戦車であり、その多くが旧式化していた。当時の中国では[[中華民国]]時代を通じて戦車の国産化は行われておらず、全ての戦車は外国からの輸入に頼っていた状況であった。その後の[[アメリカ]]と[[ソビエト連邦]]の間で対立が深まり、世界を二分する[[冷戦]]体制となると、国防工業の設立と兵器の自給体制の確立が早急に求められることになり、[[社会主義]]諸国の盟主であるソビエト連邦の全面的な支援を要請することで、[[1950年代]]から[[T-34|T-34/85]]中戦車、[[IS-2]][[重戦車]]、[[SU-76]]・[[ISU-152]]・[[SU-100]]各自走砲などの[[装甲戦闘車両]]が供与され、従来の雑多な旧式車両の更新を行うとともに、人材の育成も行われた。これにより、本格的な装甲部隊の編成が行なえるようようになった。
 
その後、中国は戦車の自給体制の確立を目指すこととなり、1952年の[[中国共産党中央軍事委員会]]兵工委員会において「関于兵工建設問題的報告」が作成され、国防産業建設に関する5ヵ年計画が提示された。その中には戦車と戦車のエンジンの国産化の計画も立案されており、1953年にはソビエト連邦が中国の経済建設に関する広範な支援を行う「関于蘇聯政府援助中国政府発展中国国民経済的協定」が締結され、その中に戦車・エンジン・砲弾・光学照準装置など戦車生産に必要とされる各種工業の施設の建設も含まれていた。当時の中国の工業地帯は東北部と沿海部にあったものの、海上からの攻撃を受けやすく国防上のリスクを抱えているので、ソ連や[[モンゴル人民共和国]]に近く、その援助を受けやすい内陸部の[[内モンゴル自治区]]の[[包頭市]]に製鉄工場を中心とした機械製造業・化学産業・産業研究施設などを配置した総合[[コンビナート]]が建設された。これは、内陸部に総力戦を支える重工業基地を建設することを最大の目的としていたが、内陸部の資源地帯と産業をリンクさせて効率的に重工業を発展させて、経済的に立ち遅れた内陸部の振興の核となることも期待されていた。その中に戦車製造工場の第617工場があり、工場建設と平行して、1955年11月にはT-54Aの実物が中国に供給されており、1956年にはT-54A戦車の[[ライセンス生産]]権が中国に譲渡され、設計図や生産に必要な各種資料が引き渡された。エンジンの生産は[[黄砂]]の多い内モンゴルの環境が適してないことから[[山西省]]、[[トランスミッション]]や光学照準装置等の精密部品の生産は[[上海]]でされることになり、ソ連の技術者の支援を受けながら他の各地の工場でも部品が生産され、これらは第617工場に送られた後に最終的な組み立てが行われた。
 
当初は第617工場にてソ連から供与された部品を組み立てる[[ノックダウン生産]]で[[1958年]]から生産が始まったが、その後に国産化された部品の使用率を次第に高めて行き、1961年までに砲塔・装甲板・戦車砲・弾薬も国産化できるようになったが、照準装置や夜間暗視装置などの精密機器や装甲板の生産に必要な[[ニッケル]]等の[[レアメタル]]に関しては、中国とソ連の路線対立が深刻化する1964年頃まではソ連からの輸入に頼っていた。
 
== 車体 ==
59式戦車は[[T-54|T-54A]]と同じく、車体は溶接鋼板、砲塔は[[鋳造]]鋼板で製造されている。

操縦席上部のハッチに、2基の[[潜望鏡|ペリスコープ]]が設置されており、その内の1基には夜間操縦用に赤外線暗視装置が標準装備されている、T-54Aで標準装備されるようになった車長や砲手用の暗視装置は搭載されなかったため、夜間戦闘は非常に困難である。砲塔の旋回は電気モーターを使用しており、砲塔の最大旋回速度は毎秒10度である。

砲塔上部の装填手用ハッチの手前に換気用ベンチレーターのドーム型カバーが設けられ、これは[[88式戦車]]まで引き継がれる中国戦車の特徴の1つとなっており、操縦手座席の直後にある車体底部には脱出口が設けられている。装甲の厚さに関してはオリジナルのT-54Aと同じである。
 
== 武装 ==
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:モジュール式複合装甲やスラットアーマーを装備。人間工学的な改善が施されたのも特徴。
;59-I式地雷処理型  
:マインブラウや[[地雷原]]処理用ロケットを搭載。
;59-II式
:別名59B型。主砲を79式51口径105mmライフル砲に換装。新型射撃統制システムを搭載。
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:ZTZ-59DI型の改良型。軍制式名はZTZ-59D型。主砲を長砲身の83A式58口径105mmライフル砲に換装。
;59P式/Al-Zubair 2
:IDEX2007兵器ショーで公開。
:IDEX2007兵器ショーで公開。戦車砲は83A式もしくは新開発の長砲身105mm滑腔砲。Pは59P式の販売を担当する解放軍系の輸出企業である中国保利(Poli)集団公司の頭文字に由来する。59P式の基本的な改造内容は59D式に準じている。ただし、59D式よりも[[爆発反応装甲]]の装着数が増加しており、砲塔には34枚のFY-1(59D式は28枚)、車体前面は18枚のFY-2(59D式は13枚)が装着されている。また、車体側面のサイドスカートの上にも爆発反応装甲が装備されている。ほかには、車体側面のフェンダー部の装具入れも一体型のものに変更されている。
:戦車砲は59D式と同じ83A式105mmライフル砲か、もしくは新規開発の105mm滑腔砲を搭載しているとのこと。59D式と同じくGP-2砲発射式対戦車ミサイルの運用が可能。砲手用サイトの形状は59D式とは異なり、射撃統制システム自体が変更されている可能性がある。エンジンは、580hp、730hp、800hpの3種類が用意されている。最高速度は55km/h。
:59P式は、現在スーダン軍で運用されていることが確認されている。スーダンでは「Al Zubair2」の名称が与えられている。就役数など詳細なデータについては不明である。[http://www.youtube.com/watch?v=p1dZBHHAOGg スーダンの軍事パレードの映像(59P式が登場するのは1分47秒から2分42秒の間)]
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:[[アメリカ合衆国]]とで共同開発された輸出専用戦車。試作のみで終了。
;T-59M11
:[[パキスタン]]での59式の近代化改修型。
:[[パキスタン]]での59式の近代化改修型。戦車砲を51口径105mmライフル砲に換装し、砲安定装置は新型の二軸安定式に変更され、エンジン出力は580hpに強化された。被弾時の2次爆発の防止のため、発火探知装置と自動消火システムを新たに装備した。また、[[GPS]]航法装置が装備され、戦場での航法や位置特定が容易となり、総重量は原型の59式より1トン増の37トンとなった。500両の59式がこの改修をうけたが、その後の第2段階では夜間戦闘能力の向上のため、光学式サイトをATCOP(Al-Technique Corporation of Pakistan)製のTR-2/TR-3[[レーザーレンジファインダー]]を内蔵されたサイトに変更されたほか、砲手用サイトにGNS-1微光増幅式暗視装置が内蔵されており、この暗視装置の映像は、車長と砲手の両方が視認することができる。操縦席ハッチのサイトには、夜間操縦用にDNS-3微光増幅式暗視装置が装備されている。約300両が改修されているが、これらの車両には新たに赤外線夜間暗視装置が搭載されている。
;アル・ザラール
:[[パキスタン]]での59式を[[インド]]の主力戦車である[[T-72]]戦車に対抗しうる水準にまで向上させたT-59M11の第3段階近代化改修型。
:125mm滑腔砲の搭載、新型付加装甲の装備、エンジン出力の更なる強化がなされており、このような大改修を59式に施工が可能なのかを検証するために、試製I型、試製II型、試製III型を製作して、その評価を基にその中から量産型のベースとして決定する方針を採り、最終的に試製III型にすることが決定された。400-611両までがこの改修を受けている。
;アル・ザラール試製I型  
: ウクライナの支援を受けて製造された。エンジンをウクライナ製の出力700馬力の5TDF対向エンジンのパワーパックに換装。125mm滑腔砲を搭載し新型の射撃統制装置と照準装置を搭載、防御面では砲塔の全周にパッシブ式の付加装甲とその上に中国のNORINCO製またはパキスタンのNDC(the National Development Complex)研究所製の爆発反応装甲を装着。爆発反応装甲は車体正面、車体側面のサイドスカート前半部、フェンダー部にも装着されている。重量増加に対応するため、[[サスペンション]]の[[トーションバー]]は懸架能力の高いものに換装されており、キャタピラの飛跳ねと脱落防止用のため、足回りの左右の上部に小型の上部転輪2基が取り付けられている。
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: 新型エンジンの搭載試験のために製造された。エンジンは出力690馬力のV46-5M 12気筒水冷式ディーゼルエンジンに換装され、車体と砲塔にパキスタン製の爆発反応装甲が装着されているが、戦車砲は59式と同じ100mmライフル砲のままである。
;アル・ザラール試製III型  
: [[パキスタン]]が国産化を進めていた[[69/79式戦車|69-IIMP]]戦車、[[85式戦車|85-IIAP]]戦車などの中国系戦車のコンポーネントを使用して製造された。
:戦車砲、エンジン、射撃統制装置などは85-IIAP戦車のものを流用している。防御面での改装に関しては試製I型 と同じである。重量増加によりサスペンションの能力が改善されている。 
;[[コクサン (自走砲)|主体砲(M1978「コクサン」)]]
:[[北朝鮮]]が59式戦車の車体に、余剰となった170mm沿岸砲を搭載した[[自走砲]]。