「太上皇」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Ubowa (会話 | 投稿記録)
19行目:
高宗は、近隣諸国の内政に対する介入がある中で親露政策を採り、日本の干渉の排除を志向した。その象徴的な出来事が[[ハーグ密使事件]]であり、朝鮮に対する日本の支配を排除するため、その不条理を国際社会に訴えたが、これが頓挫した上、日本との関係をより悪化させた。
 
そのため[[李完用]]など親日派勢力により皇帝の退位が画策され、7月20日、[[皇太子]]([[純宗 (朝鮮王)|純宗]])への譲位に追い込まれ、以後は「帝」なっされた。
 
これは[[2016年]][[8月]]の時点で、東アジアで上皇が立てられた最後のケースである。