「エミール (ルソー)」の版間の差分

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== 出版の経緯と弾圧 ==
ルソーは1757年末に『エミール』執筆を計画し、翌1758年末頃にこの作品を書き始めた。1760年の10月頃には原稿を完成させ、それを保護者のリュクサンブール夫人に預けた。
 
出版は1762年5月。しかし出版直後から、特に第4編の「[[サヴォワ]]の助任司祭の信仰告白」<ref>[https://kotobank.jp/word/%E3%82%B5%E3%83%9C%E3%82%A2%E4%BA%BA%E5%8F%B8%E7%A5%AD%E3%81%AE%E4%BF%A1%E4%BB%B0%E5%91%8A%E7%99%BD-69676 サボア人司祭の信仰告白とは] - [[ブリタニカ国際大百科事典]]/[[コトバンク]]</ref>が問題視され、キリスト教勢力を中心とする激しい弾圧にさらされた。具体的には、まず6月に本の押収、パリ大学神学部(ソルボンヌ)による告発、パリ[[高等法院 (フランス)|高等法院]]による有罪判決と逮捕令が続き、8月にはパリ大司教[[クリストフ・ド・ボーモン|ボーモン]]が教書で弾劾した。
 
これに対し、ルソーは1763年3月『パリ大司教クリストフ・ド・ボーモンへの手紙』で反論したが、事態は好転しなかった。