「ナヴァッサ島」の版間の差分

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== 歴史 ==
[[画像File:Flag of Navassa Island (local).svg|thumb|left|ナヴァッサ島の旗]]
ナヴァッサ島は[[1504年]]に[[ジャマイカ]]で座礁し動けなくなった[[クリストファー・コロンブス]]が助けを得るため、[[カヌー]]で[[イスパニョーラ島]]に何人かの船員を送った時に発見された。[[淡水]]もなく、「ナヴァーザ島(Navaza)」と名付けその後航海者たちからは350年の間振り返られることもなかった。
 
 
南国で人力でのトロッコ輸送は過酷で、島の労働環境への不満が高まり、1889年に暴動が起き5人の監督者が死亡。アメリカの軍艦が18人の労働者を連れ帰り、ボルチモアにて殺人罪のため起訴した。黒人友愛団体やキリスト教系漁師団体などが資金を募り、起訴された黒人たちの行動は自己防衛であり、また当地はアメリカ合衆国の法治地域でないとして弁護した。裁判は1890年に連邦最高裁にまで行き、3人が死刑判決となったが黒人教会を中心とした草の根運動が当時の大統領[[ベンジャミン・ハリソン]]を動かし無期懲役刑に減刑された。
[[ImageFile:NavassaLighthouse.jpg|thumb|right|ナヴァッサ島灯台。灯台守居所が背景に見える。]]
[[ImageFile:Lighthouse Keeper Residence Navassa Island.jpg|thumb|left|ナヴァッサ島灯台の灯台守居所跡]]
グアノ採掘はその後も小規模だが継続したが、1898年の[[米西戦争]]でナヴァッサ燐鉱会社は島からの退去を命じられ倒産した。
 
ナヴァッサはその後1914年の[[パナマ運河]]完成により再び脚光を浴びる。アメリカ東海岸からパナマ運河への航路はキューバとハイチの間を[[ウィンドワード海峡]]を通過するため、ナヴァッサは航路上障壁となり[[灯台]]が必要となった。1917年にアメリカ合衆国灯台運営所は海抜120m、46m高のナヴァッサ島灯台を建設。1929年に自動灯台となるまで灯台守1人とアシスタント2人が常駐した。灯台運営所が[[アメリカ沿岸警備隊]]に吸収された1939年以降は年2回維持作業を行った。[[第2次世界大戦]]中は[[アメリカ海軍]]は観測所を設置。その後は[[無人島]]となっていた。
年2回維持作業を行った。[[第二次大戦]]中は[[アメリカ海軍]]は観測所を設置。その後は[[無人島]]となっていた。
 
第二次大戦後は[[アマチュア無線]]愛好家が時々、この島に[[{{ill2|アメリカ・アマチュア無線連盟]]|en|American Radio Relay League}}(ARRL)によって与えられた[[コールサイン]]でのDX運用のため訪れている。コールサインのプレフィクスは「KP1<ref name=arrl>{{cite web|author= Joe Phillips |title= 'Ohio DXers Denied Descheo Island (KP5) Landing Permit'|date=November 2, 2005|accessdate= November 17, 2012|publisher= The ARRL Letter Vol 24 No 06 |url=http://www.arrl.org/arrlletter?issue=2005-02-11}}</ref> 」。2015年には「K1N」が指定され、2月に交信を行った。
 
現在、島周辺の海域はハイチ人の漁場となっている。またハイチ人が、島にいる[[ヤギ]]の狩猟も行っている。