「廃藩置県」の版間の差分

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== 旧藩債務の問題 ==
既に江戸時代中期頃から各藩ともに深刻な財政難を抱えており、[[大坂]]などの有力商人からいわゆる「[[大名貸]]」を受けたり領民から[[御用金]]を徴収するなどして辛うじて凌いでいた。各藩とも[[藩政改革]]を推進してその打開を図ったが[[黒船]]来航以来の政治的緊張と戊辰戦争への出兵によって多額の財政出費を余儀なくされて、廃藩置県を前に自ら領土の返上を申し出て実際に解体される藩主(が狭山知事)さえ、大溝藩、鞠山藩、吉井藩、盛岡藩、長岡藩、福本藩、高須藩など続てくる状況であった<ref>[[盛岡松尾正人、「廃]]置県」、中公新書、p82</ref>。また、幕末維新期には多くの藩で貨幣の贋造が行われ、外交問題に発展していた<ref>落合弘樹、「秩禄処分」、中公新書、p55</ref>。
{{出典の明記|date=2017-01}}
既に江戸時代中期頃から各藩ともに深刻な財政難を抱えており、[[大坂]]などの有力商人からいわゆる「[[大名貸]]」を受けたり領民から[[御用金]]を徴収するなどして辛うじて凌いでいた。各藩とも[[藩政改革]]を推進してその打開を図ったが[[黒船]]来航以来の政治的緊張によって多額の財政出費を余儀なくされて、廃藩置県を前に自ら領土の返上を申し出る藩主(藩知事)さえ出てくる状況であった<ref>[[盛岡藩]]</ref>。
 
これに加えて、各藩が出していた[[藩札]]の回収・処理を行って全国一律の貨幣制度を実現する必要性もあった(藩札も最終的には発行元の藩がその支払いを保証したものであるから、その藩の[[債務]]扱いとなる)。
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廃藩置県によって旧藩の債務は旧藩主家からは切り離されて新政府が一括処理することとなったが、その届出額は当時の歳入の倍に相当する7413万円(=両)にも達して(しかもこの金額には後述の理由で[[天保]]年間([[1830年]]〜[[1843年]])以前に発生した債務の大半が含まれていないものと考えられている)おり債務を引き受けた新政府にも財政的な余裕はなかった。
 
そこで、新政府は旧藩の債務を3種類に分割した。即ち、明治元年(1868年)以後の債務については[[公債]]を交付しその元金を3年間据え置いた上で年4%の利息を付けて25年賦にて新政府が責任をもって返済する('''新公債''')、[[弘化]]年間([[1844年]]〜[[1847年]])以後の債務は無利息公債を交付して50年賦で返済する('''旧公債''')、そして天保年間以前の債務については[[江戸幕府]]が天保14年([[1843年]])に[[棄捐令]]を発令したことを理由口実に一切これを継承せずに無効とする(事実上の[[徳政令]])というものであった。<br />(なお新政府は[[朝敵]]となった江戸幕府による債務はその発生時期を問わずに一切の債務引受を拒絶したため、別枠処理された外国債分を除いて全て無効とされた)
 
なお、[[朝敵]]となった江戸幕府による債務はその発生時期を問わずに外国債分を除いてすべて無効とされた。また、維新後に新立あるいは再立が認められた朝敵藩の負債は新立・再立以後の負債のみが引き継がれ、それ以前のものは無効とされた<ref>落合弘樹、「秩禄処分」、中公新書、p71</ref>。
 
その後、届出額の半数以上が天保年間以前の債務に由来するまたは幕府債務として無効を宣言されて総額で3486万円(うち、新公債1282万円、旧公債1122万円、少額債務などを理由に現金支払等で処理されたものが1082万円)が新政府の名によって返済されることになった('''藩債処分''')。