「グレゴール・ヨハン・メンデル」の版間の差分

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さいたね
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=== 遺伝の研究 ===
メンデルが自然科学に興味・関心を持ち始めたのは、1847年司祭として修道院の生活を始めた時である。1862年にはブリュンの自然科学協会の設立にかかわった。
有名な[[エンドウマメ]]の交配実験は[[1853年]]から[[1868年]]までの間に行われた。エンドウマメは品種改良の[[歴史]]があり様々な形質や品種があり、人為交配([[人工授粉]])が行いやすいことにメンデルは注目した<ref>エンドウ豆は、花の色が白か赤か、種の表面に皺がるかない(滑らか)か、さらに、花弁の中に雄しべ・雌しべが存在し花弁のうちで自家受粉するので、他の植物の花粉の影響を受けず純系を保つことができるなどの観察のしやすさを備えていることから使用した(フランソワ・トレモリエール、カトリーヌ・リシ編著、樺山紘一日本語版監修『ラルース 図説 世界史人物百科』Ⅲ フランス革命ー世界大戦前夜 原書房 2005年 279ページ)</ref>。次に交配実験に先立って、種商店から入手した 34品種のエンドウマメを二年間かけて試験栽培し、形質が安定している(現代的用語で'''純系'''に相当する)ものを最終的に 22品種選び出した。これが遺伝法則の発見に不可欠だった。メンデル以前にも交配実験を行ったものはいたが、純系を用いなかったため法則性を見いだすことができなかった。
 
その後交配を行い、種子の形状や背の高さなどいくつかの[[表現型]]に注目し、数学的な解釈から、[[メンデルの法則]]と呼ばれる一連の法則を発見した(優性の法則、分離の法則、独立の法則)。これらは、遺伝子が[[独立 (確率論)|独立]]の場合のみ成り立つものであるが、メンデルは[[染色体]]が対であること([[複相]])と共に、独立・[[遺伝的連鎖|連鎖]]についても解っていたと思われる。なぜなら、メンデルが発表したエンドウマメの七つの[[表現型]]は、全て独立遺伝で 2n=14であるからである<ref>後世の研究により7つの形質の対応する遺伝子のうちいくつかは連鎖していることが示されているので,原文のような憶測はもはや成り立たない.独立の法則の導出に使われた形質の組み合わせは,運良く独立の相同染色体に載っていたか,もしくは連鎖していたにもかかわらず距離が離れていたためかなりの確率で交差を起こし,あたかも独立であるかのように見えたかのどちらかであると考えられる;参考文献,Mendelian controversies: a botanical and historical review. Fairbanks and Rytting, American Journal of Botany,2001;88:737-752</ref>。