「キャンディーズ」の版間の差分

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Dr jimmy (会話 | 投稿記録)
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この電撃的な解散発表からキャンディーズの人気は沸騰し、ラストシングルの「[[微笑がえし]]」では、最初で最後のオリコン1位を獲得する。それまでのシングルが1位を獲得したことが無かったため、ファンをはじめ関係者が解散までには1位を獲得させたいとする支援の後押しがあった(後述)。キャンディーズは解散によって、さらに人気を盛り上げたと言える。
 
[[1978年]](昭和53年)[[4月4日]]、後楽園球場に当時空前であった5万5千人を集め、マスコミが歌謡界史上最大のショーと呼び、日本でも『[[ザ・ピーナッツ さよなら公演]]』以来2例目となるお別れコンサート(『ファイナルカーニバル』)が行われ、4年半の活動に終止符を打った。なお、後楽園球場でコンサートを開いたのは女性歌手(グループ)において、キャンデーズがはじめてである。この模様は3日後の[[4月7日]]にTBS系列で全国に録画収録でテレビ放送され、[[平均視聴率]]32.3%(関東地区)という単独アーティストによる[[音楽番組]]としては歴代1位の高視聴率を獲得している<ref>[http://www.videor.co.jp/data/ratedata/junre/02music.htm#spe ビデオリサーチ社 音楽高世帯視聴率番組 ]</ref>。最後に述べた「'''本当に私たちは、幸せでした!!'''」の口上も有名。コンサートの最後に歌われた「[[つばさ (キャンディーズの曲)|つばさ]]」は先に解散を知った全国キャンディーズ連盟の有志が作った「3つのキャンディー」という歌への[[アンサーソング|返歌]]として伊藤が作詞したものである。歌う前に伊藤が「やはりこの歌を歌いたい」と言ったのはそのためである。
 
なお、解散直後もTBSテレビ『[[ザ・ベストテン]]』内では「微笑がえし」が引き続きランクインした為、慰労会を兼ねたスタッフとの日本国外でのバカンス中に、電話ではあるがTV出演をしたことがある。当時は日本国外との衛星回線が不安定で、放送直前電話が繋がらない可能性があった為、ベストテン側とキャンディーズ側双方のスタッフで、一日中電話を繋いでいたという(『ザ・ベストテン』特番より)。