「金禄公債」の版間の差分

m
編集の要約なし
m (Bot: Removed Unicode 0x200e ∵Check Wikipedia #16)
m
総計1億7390万8900円、利子は1割、7分、6分、5分の4種あった。この公債証書を受け取るべき者、つまり禄券を有する者の人数は、34万人にのぼった。起債の年は、明治10年であった。
 
[[1875年]](明治8年)9月、明治政府は米高によって給する禄を、米の現物ではなく、各地方3箇年の平均相場に換算して貨幣で支給することを始めた(金禄)。
ついで財政の窮乏を補うためにそれまでの禄制を廃して、金禄公債という国債証券を発行下付し、5年据置き後30年内に償還することに定め、利子は公債の額面10円以上は7分、100円以上は6分、1000円以上は5分とした。据え置き期間内は公債からの収入はなく、その後毎年利子を受け取るものである。公債は売買可能とされ、平均利子は東京と最低賃金の約3分の1程度の少額であったため、生活に窮した多くの華族・士族が売却した。当時発行された公債のなかで最も巨額のもので、総額1億7390万円に達し、[[1890年]](明治23年)に全部の処置を完了した。
 
== 関連項目 ==