「ベ・ホ」の版間の差分

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[[1966年]]に腎臓炎を患い、[[1967年]]には{{仮リンク|裵相台|label=裵相台 (ペ・サンテ)|ko|배상태}}が作曲した「戻る三角地」を発表した。 この曲は、[[3月16日]]に吹き込みが行われたが、これに先立つ[[1月27日]]に三角地交差点で大規模な立体交差化の工事が始まり、これが話題になっていたこともあって、レコードは大ヒットとなった<ref>{{Cite web|url=http://www.ohmynews.com/NWS_Web/View/at_pg.aspx?CNTN_CD=A0000355790|title=배호는 '삼각지'의 유래를 알았을까?|date=2006-08-29lauthor=이순우(takehome)|publisher=OhmyNews|accessdate=2016-12-13}}</ref>。
 
その後、腎臓炎の闘病中であった[[1971年]][[11月7日]]に、病状が悪化し、当時の[[城北区 (ソウル特別市)|城北区]](後の[[江北区 (ソウル特別市)|江北区]]){{仮リンク|弥阿洞|label=弥阿10洞|ko|미아동}}の自宅から病院に向かう救急車の中で死去した。まだ満29で、未婚であった。 墓は、[[京畿道]][[楊州市]]の新世界公園墓地 ({{lang|ko|신세계 공원묘지}}) にある。
 
[[1981年]]に実施された、MBC特集世論調査で「最も好きな歌手」の1位に選ばれ、[[2005年]]6月の『光復60年記念KBS[[歌謡舞台]]』の世論調査でも「国民に最も愛された国民歌手10人」のひとりに選ばれた。
5年ほどの歌手生活の間に、10社あまりのレコード会社から、20枚あまりのレコードを発売しており、合せて300曲あまりの録音を残した。
 
* 1963年(21):芸名の「ペ ホ」でデビュー、デビュー曲「굿바이」、「사랑의 화살」({{仮リンク|オリエント・レコード (韓国)|label=オリエント・レコード|ko|오리엔트레코드}})発表
* 1964年(22)- 1965年(23):(再)デビュー曲レコード吹き込み - 「두메산골」など6曲(トップ・ヒット・レコード (톱 힛트 레코드))、コンボ・ バンド「ペホと楽団 (배호와 그 악단)」名義
* 1966年(24):腎臓炎発病、「황금의 눈」({{仮リンク|地球レコード|ko|지구레코드}})、「{{lang|ko|홍콩 66번지}}」(新世紀レコード)発表
* 1967年(25):
**「誰か泣いて」、「{{lang|ko|안개속으로 가 버린 사람}}」(ニュースター専属)等を病床から発表
**「戻る三角地」(アジア専属)発表<ref>音楽チャート史上記録まれな、20週以上連続のチャート首位となった。</ref>
* 1967年 - 1968年(26):マスコミ各社の主催行事で歌手賞などを受賞:[[MBC歌謡大祭典|MBC10大歌手賞]](ラジオ)<ref>歌手史上まれな、初めてのヒット曲1位が4ヶ月に及んだとして、10大歌手のひとりに選定。</ref>、TBC放送歌謡大賞など。各種の映画にも出演した。
* 1969年(27)- 1970年(28):MBC10大歌手賞(テレビ)等(新世紀専属、チグ専属)、歌手活動5年間で合計30余りの部門で各種歌手賞を受賞
* 1971年7月(29):「{{lang|ko|마지막 잎새}}」、「{{lang|ko|영시의 이별}}」最後のレコード発表
 
== その他 ==
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