「ロック・アラウンド・ザ・クロック」の版間の差分

編集の要約なし
*ダニー・セドロン {{仮リンク|Danny Cedrone|en|Danny Cedrone}} - [[エレクトリック・ギター]] 
 
 ゲイブラーのプロデュースの元、午後2時15分録音が始まる。予定では午前11時スタートであったが、メンバー達がNYへ移動の際、フェリーの運航トラブルによりスタジオ入りが遅れたためこの時間となった。先にゲイブラーが提供した[サーティン・ウーマン]が 吹き込まれる。[ロック・アラウンド・ザ・クロック]の録音の際、パートタイムのメンバーであったダニー・セドロンはこの楽曲を正確に把握しておらず、他のメンバーから「[[ロック・ザ・ジョイント]]の時のソロを弾いたらどうか」という提案を受け入れてソロパートを演奏した。ファーストテイクはビルのヴォーカルがバッキングの音に埋もれNG、テイク2がOKとなり,5時40分録音が終了した。 <ref name="fu" />
<ref>Gardner,Chris(解説)『ROCK THE JOINT!』ROLLER COASTER LP、1985年。</ref>
 
 1954年5月10日、ビル・ヘイリー&ヒズ・コメッツのデッカ移籍最初のレコードとして発売された。 「それはデッカが毎月リリースする大量のレコードの中の一枚に過ぎなかった。」ゲイブラーは語る.<ref group="脚注" name="fg"/>「C&W、R&B、ではなくロックンロールという言葉も無かった。通常のポップレコードの扱いで、レーベルに記載される分類も『Foxtrot』(ダンス音楽)だった。7万5千枚売り上げたがスマッシュヒットとは言えない。ところが2枚目の「シェイク・ラトル・アンド・ロール」が全米トップ10入りの大ヒットになった時、ラジオ局に再度「ロック・アラウンド~」を送ったところ両方共に100万枚を売り上げた。そして最終的に「ロック・アラウンド・ザ・クロック」は2,000万枚を記録することになった。」<ref name="fu" />
 
 1954年の発売当初この曲は「サーティン・ウーマン」のB面の扱いであった。1955年、映画監督リチャード・ブルックスは戦後世代の少年非行を扱った映画「[[暴力教室]]」のテーマ・ソングを探していた。出演者グレン・フォードの息子ピーター・フォードは「ロック・アラウンド~」をブルックスに紹介、同映画の主題曲として採用される。<ref name="fa">[http://www.rockabillyhall.com/RockClockTribute.html The Story of 'Rock Around the Clock': The First Cuckoo of Spring]</ref>発売当初この曲は「サーティン・ウーマン」のB面だったが,同年春に映画が公開されると「ロック・アラウンド・ザ・クロック」は[[ビルボード]]チャートで7月9日から8月27日まで8週連続1位([[Billboard Hot 100#歴史|Best Sellers In Stores]])、R&B部門3位、年間総合チャート2位を記録する。また、この曲のヒットをきっかけに世界的なロックンロール・ブームが起こる。<ref name="fu" />
 
==いくつかの疑問==
===原曲===
[[ファイル:Hank Williams Promotional Photo.jpg|サムネイル|upright|Hank Williams 1951]]
 
 マイヤーズ/フリードマン版「ロック・アラウンド・ザ・クロック」(この項以下『RATC』と略す)の原曲とされたものを以下に整理する。
 
 
===デモ録音===
 コメッツのメンバーが否定しているにも関わらずエセックス・レコード在籍時(1953年頃)のデモ録音の存在が噂される。ジョン・スウェンソンがヘイリーに行ったインタビューで「『RATC』を録音しようと楽譜を持ってスタジオに行くが、デイブ・ミラー(エセックスの経営者)がそれを破り捨ててしまう、そんな事が3回ほどあった。」その状況の中、何らかの形でヘイリーはデモ録音に成功したとも言われている。実際にマイヤーズは1954年4月1日ビル・ヘイリーとデッカの契約交渉の席でマイヤーズはゲイブラーに「RACTRATC」のデモ・レコードを聞かせている。時折、中古市場にエセックス・レコードの「RATC」が出回るが、デッカ録音を元に1960年代末に作られた海賊盤である。<ref name="fa" />
 
==記録と影響==
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