「福井県」の版間の差分

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*中期頃には[[首長]]の墓が作られ始め、後期後半になると大型化してくる。
;[[古墳時代]]
*[[4世紀]]初め頃には[[嶺北]]で[[前方後円墳]]が造られ始め、4世紀中頃からは九頭竜川中流域で大規模な[[古墳]]が造られ始める。手繰ケ城山古墳(4世紀末)や[[六呂瀬山古墳群]](4世紀後半~5世紀前半)などは北陸地方最大規模であり、この地域が強大な勢力を持っていたことが窺える。
*[[5世紀]]になると嶺南でも主に若狭町付近で前方後円墳が造られ始める。
*5世紀後半から[[6世紀]]にかけて若狭(わかさ)、高志(こし)、三国、角鹿(つぬが)の四[[国造]]が分立した。三国国造があった地域は、[[継体天皇]]がその即位まで過ごしたとされている。現在の嶺北出身である[[継体天皇]]がヤマトの大王として迎え入れられたことが契機となって、ヤマトの勢力と[[越国]]の勢力とが合一した。