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差分

これらの諸国は君主家の断絶などによって徐々に数が減り、[[1871年]]に成立した[[ドイツ帝国]]において「テューリンゲン諸国」{{enlink|Thüringische Staaten||de}}とは、この地にあった[[ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公国]]・[[ザクセン=マイニンゲン公国]]・[[ザクセン=アルテンブルク公国]]・[[ザクセン=コーブルク=ゴータ公国]](以上エルンスト系ヴェッティン家)・[[シュヴァルツブルク=ゾンダースハウゼン侯国]]・[[シュヴァルツブルク=ルードルシュタット侯国]](以上[[シュヴァルツブルク家]])・[[ロイス=グライツ侯国|兄系ロイス侯国]]・[[ロイス=ゲーラ侯国|弟系ロイス侯国]](以上[[ロイス家]])を指した。
 
[[ドイツ革命]]([[1918年]])によって君主制が倒されると、諸国はそれぞれ[[共和政]]に移行した。[[ヴァイマル共和政]]下の[[1920年]]、ゴータとの[[同君連合]]を解消して[[バイエルン州|バイエルン]]との統合を決めた[[コーブルク]]を除くテューリンゲン諸国が合併して「[[テューリンゲン州 (1920年-1952年)|テューリンゲン州]]」('''[[:de:Land Thüringen (1920–1952)|Land Thüringen]]''')が誕生した。州都は[[ヴァイマル]]に定められた。
 
[[第二次世界大戦]]末より[[ソビエト連邦軍]]の[[連合軍軍政期 (ドイツ)|占領下]]におかれた。[[1949年]]には[[ドイツ民主共和国]](東ドイツ)が建国され、プロイセン王国時代にザクセン県であった[[エアフルト]]、[[ミュールハウゼン]]、 [[ノルトハウゼン]]などがテューリンゲン州に組み入れられて州の領域は拡大し、中心機能がエアフルトに遷された。
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