「コンコルド」の版間の差分

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=== 終焉 ===
[[Image:Concorde on Bristol.jpg|thumb|225px|[[ロンドン・ヒースロー空港]]からブリストルへのコンコルドの最終飛行<br />2003年11月26日]]
[[2000年]][[7月25日]]、[[エールフランス]]機(Model No.101、登録番号F-BTSC)が[[パリ]]の[[シャルル・ド・ゴール国際空港]]を離陸時に、滑走路上に落ちていた[[コンチネンタル航空]]の[[マクドネル・ダグラス DC-10]]型機から脱落した部品により主脚のタイヤが破裂し、タイヤ片が主翼下面に当たり燃料タンクを破損、直後に漏れ出た燃料に引火、そのまま炎上・[[墜落]]した。地上で巻き込まれた犠牲者を含め113人が死亡するという大惨事になった。小さなトラブルは頻繁にあったが、1969年の初飛行以来大規模な事故は初めてだった。エールフランスは即日、[[ブリティッシュ・エアウェイズ]]もイギリスの航空当局がコンコルドの耐空証明を取り消すことが確実視されたことにより[[8月15日]]に、運航停止を決定した(ちなみに、この[[事故]]を鮮明に捉え、[[世界]]各地に配信され、各紙の紙面を飾った[[写真]]の撮影者は[[日本人]]である。)。{{main|コンコルド墜落事故}}
 
事故調査に続いて、燃料タンクの[[ケブラー]]繊維の補強、耐パンク性を強化したミシュラン製のタイヤ、燃焼装置の隔離処理等の改修を受けた後、[[2001年]][[11月7日]]に運航が再開された。しかし燃費が悪く[[航空機関士]]が必要なコックピットなど、旧式のシステムであるコンコルドの運航はコストがかかり、直前の[[9月11日]]に就航先のニューヨークで発生した[[アメリカ同時多発テロ事件|同時多発テロ]]で低迷していた航空需要下では収益性の改善は望み薄となった。